マンスリー・トピックス

ことなる背景が尊重される<いま>をつくるために

人間科学研究科附属未来共創センター特任教授
榎井縁

2020年11月
未来共生プログラムを通して実感するunlearnの重要さ

はじめまして。大阪大学大学院人間科学研究科で未来共生イノベーター博士課程プログラム(以下、未来共生プログラム)を担当する榎井です。2012年度から、箕面キャンパス、吹田キャンパス、豊中キャンパスと転々とし2019年度から人間科学研究科に所属しています。大阪大学では、2011年度より博士課程教育リーディングプログラムと呼ばれる新しい大学院プログラムに挑んできましたが、その一つが未来共生プログラムでした。当初は、人間科学研究科のプロジェクトとしてスタートする予定でしたが、最終的には8つの研究科(文学研究科・法学研究科・経済学研究科・人間科学研究科・国際公共政策研究科・言語文化研究科・医学研究科・工学研究科)と3つの教育研究施設(コミュニケーションデザイン・センター、グローバルコラボレーションセンター、国際教育交流センター)の参画により、6つのリテラシーからなる“多文化コンピテンシー”を身に付けた共生のニーズに応える人材を輩出する構想がされました。愛称はRESPECT(Revitalizing and Enriching Society through Pluralism, Equity and Cultural Transformation)。専門知を積み上げていく博士課程の学生たちをドロドロとした(?)実践現場に送り込む役割を任命され現在に至るのですが、8年が経過して大学院においても人が成長し変化していくことを目の当たりにして、unlearn(学んだことを捨てること)の重要さを実感しています。最前線の現場でHIV感染予防に取り組むNGOに従事した医学部の学生は、活動が終わった後「論文のための綺麗な数字や洗練された分析の手法以上に、ひと(当事者)に向き合う大切さを実感し、研究の原点に還った」という感想を述べました。このように専門知を積み上げる一方で、学んだことを捨てることができる現場との出会い、コミットメント、そのことを通じてわかることが、学生にとって非常に重要であると考えています。


写真1.未来共生イノベーター博士課程プログラムの概要
プログラムホームページより

多文化共生の内実 “支援”に潜む権力性

これまでわたしは、教育委員会や国際交流協会などで、地域の外国人“支援”の現場に長く関わってきました。支援に“”をつけるのは、誰のための、何のための支援なのか、という問いがあるからです。昔、あるDV被害者の外国人女性が毎日のように来るという出来事がありました。ため息をつき、コーヒーを飲み、煙草を吸って時間を過ごす、こちらの話に耳を傾けることもなく帰る、その繰り返しに苛立ってきて、「困るのよね、ああいう人」と心の中で呟いている自分にはっとさせられました。支援という表面上は美しいことばに、コントロールや権力が潜んでいることを思い知った瞬間でした。多文化共生は被支援者の口から発せられません。水平で対等な関係など初めからないから、マジョリティに向かってそんなことを言えないというのが事実でしょう。
そんなことを一緒に考える仲間が少しずつ増えていきました。印象深かったのは子どもたちへの取り組みです。外国にルーツを持つ子どもたちにその言語や文化的なものに触れさせることは大事だと誰もが(少なくとも支援者は)思うわけです。そのための準備を丁寧に、慎重に進めたりするのですが、裏切られることも多かったのです。おとなしくシナリオに添うことなどみじんもなく、「はじける」姿は、日常どんなに抑圧的な空間にいるのかを突きつけてきます。日本の学校で「ここはおまえの居る場所じゃない」という無言のシグナルをどれだけ受けてきたのかということに、こちらは唖然とするわけです。

写真2.子どもがつくる子どもだけのまち「たぶんかミニとよなか」ではじける子どもたち。公益財団法人とよなか国際交流協会では、年に1回、市内の多文化な子どもたちが出会い、つながり、交流する「多文化フェスティバル」が開催されている。その中で「たぶんかミニとよなか」のプログラムが取り組まれた。感想を大きな模造紙にみんなで書き合う(写真上)、「宇宙」をテーマに、子どもたちがまちを想像し創造した。(写真下)

ことなることが尊重される時空間をめざして 

これからSSIのプロジェクト「多文化共生のまちづくりにおける学びのデザイン化拠点の創出」がはじまる大阪市生野区は、わたしの原点と同じ匂いのする場所です。わたしは横浜中華街で生まれ、中村川を渡る橋の上から船上生活者の子どもたちを眺め、米軍従事者の子どもや在日華僑・在日コリアンの子ども、障害を持った子ども、婚外子の子どもたちと過ごした記憶を持ちます。ことばや文化や家族の有り様がちがうことがごく普通であり、呼び名さえわかればなんの不安もなく遊べました。子どものわたしには心地よい陽だまりのような時が刻まれています。
生野区は日本最大のコリアンタウンがあり、歴史的にも多様な人がたどり着いてきました。人をはじきださないような力を持つ場所であることは、まちを歩けば一目瞭然です。二年ほど前から、尊敬する仲間たちがここで次世代のための活動(NPO法人クロスベイス)をはじめましたが、今ふたたびこの生野という現場と大阪大学とを繋ぐ機会が訪れたのは、偶然ではないと思っています。「誰一人取り残さない」社会の実現の鍵がそこにあると考えるからです。プロジェクトについての希望のことばを紹介したいと思います。

共生とは、つねにすでに、わたしたちによって生きられてきた時間と身体そのものです。生野というさまざまなかたちで共生が育まれてきた歴史と風土こそ、ひとりひとりことなる背景が描かれてゆく地平として学びのキャンパスが真に根を張る土壌となるでしょう。合理化や競争のなかでひとびとが分断される時代において、本来あるべき教育のすがたを、未来ではなくいまを生きる子どもたちとともに、この地でとりもどす。そのために、わたしたちにのしかかる力をほどき、〈ちがい〉を意識化することで縒(よ)りあわされる〈つながり〉の糸でわたしたちの知を編み直すための、さまざまなジャンルを横断する対話と創造活動を繰り広げます。(SSIホームページ 協力プロジェクトより)

わたしたちは、ざまざまなちがいが衝突や葛藤を生むことをいまも経験しています。また、それらをすぐに解決することは困難であることも知っています。しかし、そこにいたる道のりに自らコミットしていこうとするなら、わたしたちが生きる時空の中に少しずつでも「ことなる背景が尊重されるような<いま>をつくる」ことが必要なのではないでしょうか。


写真3.プロジェクトのキックオフとなるセミナー「大阪生野区×大学×多文化共生vol.2 学校跡地をみんなの地域キャンパスへ」
(2020年10月4日開催 NPO法人IKUO・多文化ふらっと主催)