マンスリー・トピックス

新しい科学の在り方を拓くPBL型授業

COデザインセンター 特任准教授
上須道徳

2020年9月
PBLの歴史的な意味

大阪大学COデザインセンターで持続可能な発展をテーマに研究教育を行っている上須(うわす)といいます。大阪大学には2016年8月に着任しましたが、同僚に恵まれたのか(!?)彼らと議論を重ねるうちに個人的な関心が理論から実証、さらに実践へと大きく変わりました。その影響なのか、もともとの専門は経済学(開発経済学・環境経済学)でしたが、最近は異分野の研究者と一緒になり学際研究教育に勤しんでいます。2010年ごろからPBL(Problem based learning, Project based learning)型の授業を開講してきました。いまはよく聞くPBL型授業ですが、当時から同僚たちと試行錯誤しながら今に至ったという経緯があります。本エッセイでは授業紹介を兼ねながらPBLの役割や意義について私なりの考えを示してみたいと思います。

皆さんは1999年にユネスコと世界科学会議によって出された「科学と科学的知識の利用に関する世界宣言」をご存知でしょうか?平たく言うと、自然科学や人文学を含む学問の在り方を問う宣言です。科学は人類の発展や困難克服に大きく貢献してきました。(このエッセイでは人文学や社会科学も「科学」の中に入っていると想定して話を進めます。)しかし、その果実は不平等な形でいきわたっています。また、科学技術によって拡張した人類の活動の規模が地球環境を脅かすほどにまで大きくなっています。科学自体の発展は「真理を追究したい」といった研究者個人としての動機が大きな原動力となります。この宣言は従来の科学の在り方自体を否定しませんが、「社会」や「発展」「平和」への貢献を目指した科学の在り方も必要である、と言っているのです。従来は科学が生み出した知見や技術を社会が見つけ出し、課題解決のために活用する、と想定します。しかし、この宣言ではそれに加え、課題解決のためにどんな研究が必要か、そこから研究を始めることが必要だと説いています。

これを大学教育の観点から見るとどうでしょうか?従来の科学は細分化しながら発展し、その中で知識の積み重ねや知識を生み出す方法論が確立されてきました。したがって、大学の教育(専門教育)では教科書を使って理論や方法論を学ぶ座学や実験が主になります。すでに解決することができている社会課題に対しては、既存の専門教育の中に解決のための知見が埋め込まれているかもしれません。しかし、私たちの社会は地球環境や人口減少といった未解決の問題に満ち溢れています。今回のコロナ禍や近年話題になっているマイクロプラスチックのように未知の問題にも直面するかもしれません。こういった問題に対し、社会の中でどのように課題としてフレーミングをし、解決に向かっていけばよいのか。座学が中心の既存の専門教育では対処が難しいことがわかります。

PBL型授業では課題設定のためにフィールド調査を行ったり、または現場関係者から直接彼らの持っている課題を提示されたりします。その後にどのような科学が必要なのか検討するのです。さらに、専門分野を超えた教員が協力して授業を設計すれば専門教育が抱える壁を突破できるかもしれません。参加学生もそれぞれの専門性を生かすだけでなく、専門性を超えた視座やコミュニケーション力を身につけることができるかもしれません。つまり、PBL型授業は従来の専門教育を補完するものになるといえます。

PBLの目指すところ

ここから私のPBL授業の理念と内容の紹介をしたいと思います。私は奈良県十津川村、兵庫県宍粟市、滋賀県長浜市をフィールドとしてPBL型授業を行っています。そのほか、グローバルイニシアティブ・センターの先生方と一緒に中国・雲南省でもPBL授業を担当しています。私たちのPBL授業の特徴は長期的に同じ地域、特に過疎化が進む農山村地域で活動を行うことにあります。都会の生活者から見れば多様で豊かな生活様式を持っている日本の地域がなくなっていくのは心情的に寂しいものがあり、地域が抱える課題に貢献できれば、という個人の思いがあります。また文化や生活は人がいなくなってしまえば復元することは難しいものです。生物多様性の保全をめぐる様々な言説とそれに基づく活動と同じように、私たちはまだ理解できていないかもしれない地域が持つ価値を可能な形で次世代に残していく責任があるのではないかと思います。

写真1 素敵なおばあちゃん3人が暮らす十津川村山天集落。広い十津川村でもここでしか作られていない作物があります。

実は日本の地方の活性化活動には長い歴史があります。かつて東京大学の玉野井芳郎という経済学者がいました。玉野井は1960年代後半当時から東京一極集中と地方・地域の衰退を懸念し、地域が主体となって生活を作っていく(生活を維持する方法を地域自らが探求し、持続させる)「地域主義」を唱えました。この主張から50年以上たち、その間に政府からの膨大な補助金や施策が施されましたが、残念ながら地方衰退と東京一極集中はむしろ加速している状況です。私はその大きな理由が、東京で地域の多様性を無視する形で設計された画一的な施策がなされたためではないかと考えます。日本の地域は多様です。それぞれの生活の維持の仕方があるはずです。開発学などの「内発的発展」といった言説と通ずる「地域主義」の確立が地域の持続性の実現には必要なのではないかと考えます。

一方で、地域の関係者単独で自立することは困難であることも現実です。私はPBL授業を進める中で、専門性を持った外部者(つまり大学)と地域が信頼関係を築き長期的な協働を行うことが「地域主義」の確立につながるのではないか、という作業仮説を持ったのです。したがって私のPBL授業はその仮説を検証するプロセスそのものなのかもしれません。このことは授業に参加してくれる学生には内緒にしていますが。ただ、学生に対して伝えることがあります。それは、「良い提案ができればよいけれどもこの授業で大切なのは信頼関係を作ることで、それには誠実さと勇気が求められる」ということです。

人類学などの専門家でなくともフィールド調査の経験がある方はわかると思います。地域は都会とは時間の使い方や作業の進め方が異なったり、地域固有の習慣などがあったりします。心身のリスクや人権などに関わる場合は別ですが、学生にはできるだけ地域のやり方に沿ってみよう、と提案します。そのためには相手に寄り添う誠実さや時にはやったこともないことに挑戦する勇気が必要となってきます。例えばですが、地域の方が一生懸命に準備してくれた宴会に参加し、形だけでもよいので返杯の儀をまねることで信頼関係が生まれたりします。

PBLの秘めたる可能性

これは個人的な評価かもしれませんが、誠実さと勇気を意識することは良い効果をもたらしてくれると思います。相手に寄り添うことができれば自分たちの専門性や外からの視点をもって地域の課題をより適切に抽出することができます。また相手への共感をもって解決策を考えれば現実的により受け入れられやすい提案を行うことができるかもしれません。

ということで、春夏学期に開講している奈良県十津川村十津川中学校を舞台にしたPBL授業の事例を最後に紹介したいと思います。

写真2 阪大生が作成したちらし

今年は残念ながら新型コロナウイルスの影響により現地に赴くことはできませんでした。けれどもオンライン会議を通じて十津川中学校の先生方や生徒、関係者と何度も対話を重ねることができました。子どもたちには潜在的な力はあるのだけれども、周辺にロールモデルがいないことや学習環境も都会と比べて整備されていないこと、勉強へのモチベーションも高くないことがわかりました。また学校の先生方も非対面授業の実施など、コロナ禍への様々な対応に苦戦していることも明らかになりました。同時に学生たちは教育関係者の子どもたちや村への思い、子どもたちのいろんなことへの好奇心があることを感じ取ったようです。この結果、学生たちはオンラインを使った受験勉強計画カウンセリングというアイデアに到達しました。大学生が中学生に勉強を教えるのではなく、大学生と中学生が話し合いながら勉強を進める計画を遠隔で作っていくという内容は中学校の先生方にも高く評価されました。また、提案した学生も(単位にはならないけれど)実際に提案した企画をやってみたいという思いが募ったようです。その結果、授業後も現地との調整や企画のブラッシュアップを重ね、この勉強カウンセリング企画は10月に実装する運びとなったのです。阪大生と十津川村の中学生が交流企画を重ねることで、どのようなフレンドシップが芽生えるのか今からとても楽しみです。

PBL型授業の形態は多様であってよいと思いますが、以上が私の考えるPBLの意味と役割になります。長期的に協働や共創するという視点を取り込むことによって、PBL授業は新しい科学の在り方を拓く可能性を秘めているのではないでしょうか。