マンスリー・トピックス

コロナ禍における人生の意味とつながりの実感

全学教育推進機構教育学習支援部 特任講師
浦田 悠

2021年11月
コロナ禍と人生の意味

私たちは、何のために生きているのでしょうか?ドアを開けるのは外に出るため、電車に乗るのは学校や会社に行くため、人と会うのは情報を得るため、といった因果の連鎖を超えて、「では一体全体、生きるのは(そしていつか死ぬのは)何のためだろう」という問いを見晴るかす時、私たちは、自分や周囲の人、さらには世界中の人々や、生きとし生けるものが存在することの意味を問うことがあります。この問いに確たる答えを「発見」する人もいれば、自分で「創造」するという人もいるでしょう。また、問い続けることを否定し、いまだ、あるいはもはや問わずに生きることを是とする人もいるかもしれません。人生の意味は、個人的な意味から社会的な意味、さらには宗教的な意味まで、様々な次元の意味の源が有機的につながったシステムとして捉えることができます(図1)[1]。

図1 人生の意味の入れ子モデル(浦田(2013)より改変)

コロナ禍で、私たちは、空気のように自明であった諸々の意味の変化や喪失を経験しました。緊急事態が続く中で、ドアを開けて外に出ること、電車に乗って学校や会社に行くこと、移動・集合し、人と会うこと等々の、意味深さと無意味さがない交ぜになった感覚を、多くの人が抱いたのではないかと思います。心理学では、あらゆる意味の源でも核となるのは、他者や社会や世界と自分がつながっているという感覚や経験であることが明らかになっています[1]。しかし、今回のコロナ禍では、ソーシャル・ディスタンシングによって、従来のようなつながりが失われることになりました。厄介なことに、人は、不安な時や、いのちに関わる脅威がある時には、「意味のある世界における価値のある参加者でありたい」という自尊感情を守ろうとし、かつだれかと密接につながっていたいという親和欲求や所属欲求が高まりますが、今回はまさにその不安や脅威の原因によって、人と物理的な距離を保たねばならなくなりました。さらには、これらの不安や脅威は、社会的距離の遠い他者を排斥する反応も生じさせやすくなってしまいます[2]。これが、今回のコロナ禍がもたらした特有の困難な状況でした。そして、世界中の大学でも、このようなコロナ禍の影響を大きく受けることになりました。

オンラインにおけるつながりの実感

私は、上記のような人生の意味の心理学や哲学に関心を持ちつつ、学内の業務としては、コロナ禍の前から、オンライン授業の支援にも携わってきました。学生からは、2020年度初めから、オンライン授業をめぐって、つながりの実感を希求する声が多く聞かれました。大阪大学の学生アンケートでも「本来同じ教室で受けるはずの友達と会話をする機会があまりなく、つながりを形成することができない」といった声が上がっていました。パソコンの二次元の画面上で、わずか数インチのタイル状に並んだクラスメートと共に授業を受けるという体験は、「キャンパスライフ」と呼ぶにはほど遠いものを感じた学生も多かったようです。オンライン授業では、履修登録をしたメンバーのみが接続したバーチャルな空間で授業を受けて、授業が終われば余韻もなく切断される、ということの繰り返しになります。そこでは、たまたま教室の席が近くて親しくなったり、授業後の廊下で偶然会った人と話が弾んで一緒に学食に行ったりするなどの、つながりの形成や拡大の機会が得られにくくなってしまいます(図2)。一見本質的でないように見えるこのような「偶有的なつながり」[3]にこそ、大学という場所でキャンパスライフ(生活・人生)を送る「意味」があったのかもしれません。

図2 対面授業とオンライン授業のつながり方の違い

学生同士や大学とのつながりを支援するため、大阪大学では、2020年度当初から「阪大ウェルカムチャンネル」を開設し、模擬授業や履修ガイダンス、アカデミックスキルの他、学生生活の紹介や体操などのコンテンツを配信しています[4]。また、2020年6月には新入生交流会(ウェルカム! 阪大)を対面で10回開催するなど、学生同士の交流やつながりを支援する取り組みを行ってきました。他大学のラーニング・コモンズなどでも、オンラインや対面での学習や学生生活の支援が模索されています[5]。このように、オンラインや対面でのつながり支援は様々行われてきましたが、バーチャルの世界で、身体性や遠近感を伴ったつながりの実感を得るのは、やはりいまだ難しいのかもしれません。

つながりの格差ができる?

コロナ禍の状況は刻々と変化し、現在は対面の授業も多く行われるようになってきています。対面が復活した後のアンケートでは、「学生間および学生—教員間のつながりを改めて実感でき、有意義な時間を過ごすことができた」という声も出てきました。今後も、対面のつながりの重要性と簡便さを再認識した結果として、基本的にはコロナ禍以前と同じ対面授業への回帰が進むと思いますが、一方で、ブレンデッドやハイブリッドなどと呼ばれる授業形態の活用も続くでしょう。大阪大学でも「阪大版ブレンデッド教育」の推進が目標となっており、このように、つながり方のオプションが広がることは歓迎されるべきことだと思います。
ただ、(これは私自身の授業でも感じており、また実際に学生からも聞きましたが)ブレンド型授業で対面とオンラインを選択可能にしている場合、学習への動機づけが高い学生は対面を、高くない学生はオンラインを選択し続ける傾向があるようです。これまでの研究によれば、オンライン環境においては、動機づけが低い場合には他のことに気を取られる傾向が高く[6]、かつ対面の教室から取り残され、歓迎されていないという感覚を抱くことがあること[7]が示唆されていますので、ともすれば対面組とオンライン組の学習成績やつながりの格差が拡大してしまうことも懸念されます。本来、ブレンド型の授業形態は学びの格差を減らすこともメリットの1つとされていますが、実はこの点は、従来の「デジタル・ディバイド」とは逆の意味での分断のリスクになり得るのかもしれません。
これらの格差やその固定化を防ぐために、教員は、オンラインで書いたり発表したりできるようなツールを積極的に活用したり、機材の活用やトラブル対処のスキルを十分に身につけつつ、オンラインの学生にも十分に気を配るなど、オンラインの学生が対面の学生と同等のつながりを維持できるような方策を考えていくことが必要だと思われます。

多様なつながりと意味の場所としての大学

「人生に意味がなければ生きる意味がない」。これは、以前、私が授業で人生の意味について聞いた時にある大学生が書いてくれた回答です。この回答は一見同語反復のように聞こえますが、そうではありません。自分の人生全体の価値や理由がわからなければ、日々生きていくことの意味や目的が見いだせないということを示しているのだと思います。
大学生にとって、キャンパスは、自己の成長や喜びなどの個人的な意味から、友人関係やコミュニティへの参与などの関係的・社会的な意味に至るまで、図1に示したような様々な意味の源を見いだせる場所となります。大学という場所が、オンライン、オフラインの二項対立を越境し、単なる空間(スペース)ではなく、つながりの実感を得られる心理的な場所(トポス)となれば、大学生としての生活や人生の意味、すなわちキャンパスライフの創造や発見を支援することができるのではないでしょうか。冒頭で述べたように、コロナ禍は、生活形態の劇的な変化と、従来のようにつながれない不安をもたらしましたが、学ぶことや人とつながることの意味、ひいては生きることの意味を再考するきっかけとなっているのかもしれません。私も今後の情勢を見つつ、つながりの実感を促進できるような教育学習支援に携わっていきたいと考えています。


参考文献

[1]浦田 悠 (2013). 人生の意味の心理学─実存的な問いを生むこころ─ 京都大学学術出版会
[2]脇本竜太郎 (2019). なぜ人は困った考えや行動にとらわれるのか─存在脅威管理理論から読み解く人間と社会─ ちとせプレス
[3]村上正行・浦田 悠 (2021). 大学における「つながりの実感」とオンライン授業 質的心理学フォーラム, 13, 28-34.
[4]村上正行・佐藤浩章・大山牧子・権藤千恵・浦田 悠・根岸千悠・浦西友樹・竹村治雄 (2020). 大阪大学におけるメディア授業実施に関する全学的な支援体制の整備と新入生支援の取り組み 教育システム情報学会誌, 37 (4), 276-285.
[5]遠海友紀・嶋田みのり・千葉美保子・川面きよ・松井きょう子・岩崎千晶・村上正行 (2021). コロナ禍におけるラーニングコモンズの対応─関西ラーニングコモンズ担当者ネットワーク 参加校への調査結果─ 第 27 回大学教育研究フォーラム発表論文集, 53.
[6]Hollis RB, & Was CA. (2016). Mind wandering, control failures, and social media distractions in online learning. Learning and instruction, 42, 104-112.
[7]Cunningham U. (2014). Teaching the disembodied: Othering and activity systems in a blended synchronous learning situation. The International Review of Research in Open and Distributed Learning, 15.