マンスリー・トピックス

動物と人間/感染症と社会の過去と未来

グローバルイニシアティブ・センター 准教授 
住村欣範

2020年6月
新興再興感染症と食糧廃棄

私は、SSIのプロジェクトでは、フードロス(食料廃棄)を研究テーマにしています。日本では、フードロスというと、流通・消費段階の問題とみなされることが多いのですが、食料生産の盛んなベトナムなどを対象に含める私たちの研究では、生産段階での食料廃棄、特に畜産物の廃棄にも注目しています。畜産物の廃棄にはいくつかの要因がありますが、その中でもっとも重要なものが人獣共通感染症です。畜産分野以外の人々が、持続的な関心を持つことはないですが、日本においても、家畜伝染病による小規模な食料廃棄(殺処分)は、頻繁に起こっています。口蹄疫、高病原性鳥インフルエンザ、豚コレラ(豚熱)など、聞いたことのあるものも多いと思います。これらの家畜伝染病の中で、高病原性鳥インフルエンザは典型的な人獣共通感染症です。世界中で数千万人の死者を出したとされる100年前のスペイン風邪も、鳥インフルエンザ・ウイルスがヒト-ヒト型感染を起こすものに変異して起こったパンデミックでした。
21世紀になってから、中国や東南アジアでは、人獣共通感染症に分類される家畜伝染病が発生して人間への感染リスクが高くなった結果、家畜(健康なものも含めて)を数千万単位で処分する事態が多発しました。1970年以降に新しく現れた感染症や制圧されかけていたが再び流行するようになった感染症を新興再興感染症と呼びますが、この新興再興感染症と、家畜を大量に殺処分することによる食料廃棄は、実は、表裏一体の問題なのです。

写真1 洞窟に群生する(密な)キクガシラコウモリ

(注1)SARSコロナウイルス(SARS-CoV1)と新型コロナウイルス(SARS-CoV2)の自然宿主といわれる。ユーラシア大陸の西の端(イギリス)から東の端(日本)にかけて広く分布する。東南アジアではコウモリは食用動物である。

人間と動物

21世紀になってから現れたヒトとヒトとの間で感染を起こす3種類のコロナウイルスは、いずれもコウモリを自然宿主とし、他の動物(食用動物や家畜)を媒介して、人間に感染したものと考えられています。1998年からマレーシアで流行した新興感染症の一つであるニパウイルス感染症もコウモリを自然宿主としていました。コウモリは、ほ乳類であること、人間と同じく食物連鎖の頂点にあること、そして、種類によっては密な状態(群生)を作る動物であることなどから、ヒトにとっての新たな病原性ウイルスをもたらすプールのような存在になっているようです。しかし、新興感染症が現れてくる背景は、人間とコウモリ、そして、その間を媒介する動物が同じほ乳類であり、ウイルスが変異して感染を起こしやすいということにとどまりません。それは、人間の経済開発などによる野生動物との接触の仕方の変化、人間と動物の間の長い歴史における関係の変化(家畜化)、そして、近年の急速な関係の変化(工業的畜産・集約畜産)という、人間と動物の関係のより包括的変化を背景として起こってきている問題なのです。

写真2 養豚場の豚

(注2)人間と他の動物との間で様々な感染症を媒介する可能性を持つ。1998年のマレーシアでのニパウイルス感染症においては、自然宿主であるオオコウモリと人間の間でウイルスを媒介し、240万頭のうち、110万頭が殺処分された。

新興再興感染症の時代とSociety 5.0

新型コロナウイルスのパンデミックが起こって以来、「社会的距離」という概念にみられるように感染症における社会的な要因が注目されるようになりました。しかし、必ずしもすべての社会において、「社会的距離」を取らなければ感染が抑制できないわけではありません。日本の第五期科学技術基本計画では、Society 5.0というものが提唱されています。狩猟社会、農耕社会、工業社会、情報社会の4つの社会類型の次に来る社会とされており、「サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会」であると定義されています。Society 5.0はユートピアであり、社会はそこに向けて直線的に進化してきたとでも言いたいような発展図式ですが、果たしてそのような社会においては、新興再興感染症についても課題解決がなされるのでしょうか。

図1 「新たな社会“Society 5.0”」

人間と食糧(動物)との関係、そして、人間とウイルスとの関係を、Society 1.0である狩猟採集社会を例にとって見てみましょう。狩猟採集を生業とし、バンド社会といわれる親族を中心としたせいぜい数十人の集団が生活単位となる社会においては、人が日常的に寄り添い交わる密度は非常に低く、新型コロナウイルスの蔓延にみられるような、都市を中心とし、都市間の移動によって拡散したパンデミックは起こりえませんでした。狩猟採集社会においては、動物を狩ることはするものの、人間の傍らに日常的に居る動物は非常に限られたもので、その結果、新種のウイルスに感染し、これが蔓延するする機会も少なかったのです(1万年前には人間に感染するウイルスはヘルペス・ウイルスくらいしかなかったといわれています)。そして、当然のことながら、自分で採って食べる社会においては、食糧廃棄も限定的で、あったとしても、社会の持続性を脅かすような問題にはなりえませんでした。さらに、人類学者のサーリンズは狩猟採集社会のことを「始原のあふれる社会」であるとさえ言っています。
感染症と食糧廃棄の問題の重要な部分は、人と人、人と動物の包括的な関係の変化の中で生まれてきたものです。新型コロナウイルスのパンデミックは、感染症や食糧廃棄の問題が、Society 2.0からSociety 4.0までの社会の変化と多様化を経て生み出されてきたものであり、近代化や市場経済の「蔓延」という観点からとらえ直す必要があるということを認識する上で、格好の機会であるように思います。

ワンヘルス、ワンエコロジー

図2 ワンヘルス・アプローチ

獣医分野の専門家が主導して、21世紀の初めに提起したワンヘルスという概念があります。「人、動物、環境(生態系)の健康は相互に関連していて一つである」という考え方に基づくもので、新興再興感染症の時代における保健衛生の重要な展開でした。しかし、ここでいう「動物」とは、主に家畜・家禽・ペットなどに限定されており、野生動物は、環境(生態系)に押しやられているように見えます。ワンヘルスにおける動物の分断は、まさに、動物の一部が人間の目的に合わせて飼いならされたものであり、この動物と人間の関係を中心として新興再興感染症の問題が起こっていることを示しています。そして、その分断の背景には、人間社会の経済的なシステムがあるのです。ワンヘルスという考え方は、もう一歩進めて、人間の活動とその他の生物との関係を含めたワンエコロジーというより包括的なものに変えていく必要があるかもしれません。
次に来る社会がどのような社会であるべきなのか、その全体を見渡すような視野を私は持ちえません。しかし、それは、「空間の融合」によって解決できるものでも、「人間中心の社会」を目指すものでもないように思われます。新しい社会は、古い社会とは違った形と方法で、人間と動物、植物や微生物なども含めた生態系と物理的な環境との「関係」の中に、人間の社会が埋め込みなおされたものとして構想されるべきものではないでしょうか。