マンスリー・トピックス

「ハイブリッド」な紛争解決へ

国際公共政策研究科准教授(掲載時。現上智大総合グローバル学部総合グローバル学科准教授.)
中内政貴

2019年8月
暴力紛争が起こる社会の問題

今回は少し紛争解決の具体的な方法について考えてみたいと思います。
前提として、暴力的な紛争が起こってしまう社会は問題を抱えています。たとえば権力争いや土地や様々な資源をめぐる対立、さらには不平等や差別、深刻な貧困の問題が存在し、そして、それらを平和的な手段によって解決できないために、暴力の行使にまで至ってしまうと考えられます。したがって紛争解決や平和構築のためには、紛争の根本に存在する問題自体の解決や、問題を暴力にまで悪化させない仕組みの導入が求められることになります。

具体的な方策への難問ー「国際社会」リードによる解決の難しさ

ここまでは誰もが同意するところなのですが、具体的な方策となると、途端に話は難しくなります。まず誰が意思決定を担うのでしょうか。当然に主役は現地の人々であるべきですが、そもそも暴力にまで至ってしまった対立が残っている中で、現地の誰かが意思決定を行ったとして、他の当事者は納得するのでしょうか。また、現地では必要な資金や人的・物的な資源が不足していることが普通であり、これを補うために「国際社会」からの協力を受けることがどうしても必要となります。ところが、「国際社会」の強力な主体(先進国や欧州連合などの地域機構、そして国連機関など)が関与すると、どうしてもこれらがリードを取ることになりがちです。つまり、現地の人々が主体的に紛争解決や平和構築を進めることは容易ではないのです。
次の難問は、どのようにして紛争の根本にある問題を解決し、どのような設計図で、紛争が暴力の行使にまで至らないで済む仕組みを築くのか、です。具体的な方策となると、私たちが知っているのは実は先進国のやり方に過ぎないところがあります。民主主義で市民の要望を汲み上げる、市場経済化で合理的で豊かな経済体制を築く、自由権を中心とした人権を守る、法を整備して全員が同じルールに服するようにする、物理的強制力を中央政府の軍や警察に一元化する、等です。これらは長い歴史の中で議論を重ねて制度として積み重ねられてきたものであり、たしかに、うまく導入できれば紛争の根本的な解決や暴力化の防止のために有益な仕組みであると言えるでしょう。
ただ、たとえば民主主義ひとつをとっても、その経験のない国に根付かせるのは、長い年月を必要とする困難な仕事です。しかも、市民が民族などの境界線によって多数派と少数派で分かれてしまっているような場合には、通常の多数決による民主制度では、常に少数派が不利な立場に置かれてしまい不満を恒常化させることになりかねません。私が主な研究対象としている、かつてのユーゴスラヴィアの場合は、1980年代末からの冷戦構造の崩壊時に急激な民主化を行ったことで、民族的な少数派の不満が高じて悲惨な暴力紛争を伴う国家の分裂へと至りました。であれば、少数派も民主的な制度の中で要望を実現させられるように、なんらかの制度的是正を行うことも必要になるでしょう。こうした具体的な制度設計について経験と議論を積み重ねてきたのはやはり先進国であり、「国際社会」の名の下に先進国がリードを取ることになりがちです。
実際に、1990年代から平和構築活動が活発に行われる中で、主流となったのは「国際社会」が主体となって細部の制度設計までも外部から決めてしまうようなやり方でした。ところが、それらの制度はしばしば現地の情勢に合致しないものでした。たとえば上記のユーゴスラヴィアから独立したボスニア・ヘルツェゴヴィナの場合では、米国の主導によって民族間で権力を分有する精巧な仕組みが作られましたが(図ご参照)、ほとんど機能不全に陥っています。さらには、リベリアやハイチなど多くの紛争が、解決されないどころか暴力の再発にまで至ってしまいました。一つの大きな問題点として、「国際社会」は短期間のうちに結果を求めてしまい、選挙の実施や国営企業の民営化などの成果を挙げると早期に手を引いてしまうことが指摘できます。カンボジアのように国連が派遣した平和維持部隊(PKO)が一定の成功を収めて撤退した後に、元の紛争当事者が非合法な手段によって権力を奪取するような事例もみられてきました。


出典:久保慶一「デイトン合意後のボスニア・ヘルツェゴヴィナー紛争後の多民族国家における持続可能な制度の模索」『早稲田政治経済学雑誌』第377号、2010年、26頁

ボトムアップ式による紛争解決・平和構築にも課題がある

これらへの反省から、2000年代からは、より現地の社会状況や歴史を勘案する必要性が理解されるようになり、いわばボトムアップ式による紛争解決・平和構築が徐々に試みられるようになってきています。たとえば、伝統的な家父長制の強く残っている地域では、そうした指導者に一定の権威を認めつつ、彼らを組み込んだ統治制度を築くといった試みです。シエラレオネの事例では、伝統的な地方の有力者による支配地域(チーフダム)が植民地時代に一種の自治組織として制度化され、このチーフダムが 2002年以降の平和構築の中でも地方自治の末端を担い続けています。また、このチーフダムには国家の警察とは別に警察的な役割が認められており、国家の本質であるとされてきた物理的強制力の独占という部分においても、必ずしも中央集権化を図っていない例となっています。
ただし、これもまた、言うは易く行うは難し、の面が存在します。ボトムアップとはいえ、どうしても、紛争と平和の行方に影響を与えるような有力な勢力を重視せざるを得ず、そうなると軍事力や経済力などを握っている勢力だけが紛争後の政治に関与できるということになりかねません。どのようにして、より広く市民を取り込んでいくのか、そして、これらを含む統治制度をいかにして安定させていくのか、また過去の暴力に対する責任をどのように追求するのか、など課題は山積しています。

ハイブリッドな努力の必要性

結局のところ、暴力紛争に至った社会に存在する問題は、何らかの形で変えていく必要があることは確かです。そのためには、ボトムアップ的に現地に即した長期的な平和を築いていく努力を中心としつつも、ある程度の「国際社会」による関与によって安定を維持するといった、双方向でハイブリッドな努力が必要とされているのだと思います。現在のところは、ハイブリッド型の成功例と呼べる事例はまだ上記のシエラレオネぐらいに限られていますが、少なくとも「国際社会」が思ったように紛争解決や平和構築を進められるという甘い幻想は終わりを迎えたと言えます。