マンスリー・トピックス

世界を読む―共同探究にむけて 

社会ソリューションイニシアティブ特任助教
今井貴代子

2022年12月

マイノリティの歴史に出会い、異なる他者と関係性を取り結ぶような機会はどれほどあるでしょうか。社会全体でも教育においても十分ではないといえます。差別や偏見、ヘイトスピーチ、マイクロアグレッションなどはそうした他者との出会い損ないが背景にあるとわたしは思っています。一方で、異なる他者との出会いの場面では戸惑いや葛藤、居心地の悪さが経験されることもあります。最近わたしはそれらを「わたし」への〈呼びかけ〉ではないかと考えています。〈呼びかけ〉にどう応えることができるかという応答可能性(responsibility)です。

こうしたことを自身の専門である教育研究や教育プログラムの中で考えてきました。そして2022年秋に実施された「北海道スタディツアー2022」でも感じました。スタディツアーに参加した学生の感想に紡がれた言葉を手がかりに、このことを考えてみたいと思います。

アイヌに関する政策や施策は本当にアイヌのためになっているのか?

ツアーは「アイヌ民族の歴史と当事者研究から考える対話と共生のコミュニティづくり」というテーマで、院生・学部生、文系・理系さまざまな学生と学内3つのセンターの教員で取り組みました(注1)。近現代史におけるアイヌの歴史とは、日本の植民地支配による土地や資源、生活習慣や文化、言葉などの収奪や搾取、差別の歴史です。同時に、アイヌの人たちの差別撤廃と権利を求める運動の歴史でもあります。当事者の思いやアイヌの活動を通じて日本における多民族共生のあり方を考えることがねらいでした。

ウポポイ(民族共生象徴空間)、平取町二風谷アイヌ文化博物館、萱野茂二風谷アイヌ資料館、浦河町堺町生活館などを訪問し、札幌、平取、浦河、十勝という4つの地域でアイヌの活動に取り組む人たちから話を聞きました。アイヌという一つのカテゴリーではくくりきれない生い立ちや経験、価値観、世代によってもそれぞれに異なる思いや状況があり、アンビバレントな感情や葛藤、そして痛みが示されました。そうした言葉や感情が批判的に問いかけるのは、「アイヌに関する政策や施策は本当にアイヌのためになっているのか?」ということです(注2)。

しかしこの課題・問いを考えようとすれば、自ずと「わたし」を考えずにはいられないということも経験します。アイヌの声や痛みが聴きとられない歴史と今につづく現状、そのことに気づかないふりをする社会のありようがあり、その社会に生きる「わたし」がその構造を支えていることに気づかされるからです。抑圧の構造に加担しているという加害性からくる居心地の悪さや葛藤など、そんな「わたし」がその場に現れます。同時に、その「わたし」にもさまざまな背景や属性、これまでの経験があります。この時、「わたし」は〈呼びかけ〉られ、それらにどのように応えることができるのでしょうか。

写真1 平取のサスイシリ(悠久)にて

〈呼びかけ〉への応答-学生の紡いだ言葉から

学生たちの多くが感想の中で「抽象的な感想になってしまった」と前置きをして、「わたし」が感じた葛藤や違和感、答えの出ないループ、それらを経た関係性の取り結びの可能性について語っています。

「…この問題は和人の問題なのである。しばしばこのことを今回のツアーを通して突きつけられ、私はどうしたらよいのかわからなくなった。アイヌが和人に対して求める「謝罪」と「補償」とは、一体私が何をすることで果たされるのか。「代わりに」声を上げればいいのか。それは傲慢だと思う。それなら「共に」声をあげればいいのか。しかし「共に」なんて言葉もエゴなのだと思う。以上の問いを帰阪後考えているが「その答えは出ていない。」」

「自分の中に大きな葛藤ができた。アイヌの方々は一枚岩ではないと感じた。価値観の葛藤に悩む自分にやさしく声をかけてくださったことに申し訳なさを感じた。」

葛藤を抱えながらも、アイヌの人が話された「理解できないことへの共感力」という言葉を手がかりに考えを深めていく学生もいます。

「「理解しようとするだけでは、自分にとって理解できない問題を切り捨てることになってしまう、共感力が大事」だとおっしゃっていました。共感力とは自分と違う意見や感覚の存在を認めることだそうです。今回のツアーでは、アイヌをルーツにもつ複数の人の意見を聞きましたが、それぞれの意見はどれも同じではなく…さまざまな意見を受け入れるには、異なる意見や感覚の存在を認める共感力が必要で、それは知識を得るだけでは不可能であることを知りました。」

また、ツアーの中で対話すること自体の難しさやその恐れを経験しながら、それを「救った」のはその場が「排除しない」空間だったからだと別の学生は語っています。

「…深くその人の内側を知りたいと思って質問をするとき、地雷を踏まないようにと意識して、前置きを長くしたり言葉一つ選ぶのにも躊躇したりする。全くの悪意もないままに人を傷つけてしまうのではないかと考える。しかし、周りを見れば同じように地雷を踏まないように、そしてそれでもなお進もうとしている方々がいて、聞かなければわからない他者の根幹に触れたいと思うこころを排除しないでいてくれる空間であるということ…がとても救いであった。」

ある学生は自身の「加害性」と「社会的弱者性」が「湧き出るように思い出された」といいます。そこから、「傷つきの普遍性」が「共感」と「人間同士として関わること」を可能にしていくのではないかと思考を深めていきます。

「民族という自分の出自集団そのものと、個人の被害経験とでは異なる部分も感じるのですが、同時に、深いところに普遍性も感じ、そういった傷つきの普遍性が、共感や共鳴を呼ぶのではないかと思いました。自分の社会的弱者性、自分の傷つきを消し去ろうとするのではなく、埋もれていたその気持ちを呼び戻し、受け止めることで、他者の傷つきに共感できるようになるのではないかと思います。そうして、相手と人間同士として関わることができるのではないかと思います。」

「アイヌに関する政策や施策は本当にアイヌのためになっているのか?」という問いは、「わたし」の加害性や脆弱性を経て、それぞれに学生が取り組む研究や実践のあり方に倫理的な態度や示唆を与えているようにも感じられます。ある学生は次のように自らの「研究」を捉え直しています。

「…必ずしも問題解決の速度だけを求めず、視野の多角性や深度も大切にする(という印象があります)「研究」というプロセスにおいて、特に「安心」「声の大きさ」といった言葉の定義を端緒として、少し考えてみたいと思っている次第です。」

異なる他者とともに「世界を読む」

学生の書いた感想に対して、お話をうかがった方々からは「真摯に向き合い悩みながら言葉にしている」「自分自身の問題に重ねて考えられている」という返事をいただきました。学生たちの〈呼びかけ〉への応答は、安易にわかろうとせず「わからなさ」に踏みとどまって、異なる他者との関係性を取り結ぼうとしているように思えます。「理解できない問題を切り捨てる」のではなく、「わからなさ」を出発点にすることで、社会認識が深まり、想像力が生まれ、共感力をともなう自分事として応答することができるのかもしれません。

ブラジルの思想家であり識字教育の実践家でもあったパウロ・フレイレは、知識が一方的に注入される預金型教育ではなく、世界と「わたし」のあり方を批判的に捉えて世界にコミットメントしていく問題提起教育を提唱しました(注3)。共生社会には、異なる他者との対話を通じて、これまで知り得た知識を問い直し、世界と「わたし」がどのような関係にあるのかという「世界を読む」ことがより重要です。異なる他者との出会いや関係性の取り結びにつながる「世界を読む」共同探究のあり方にむけて、これからも取り組んでいきたいと思います。

写真2 プクサ(行者にんにく)の和え物をいただく

(注)
1)人間科学研究科附属未来共創センター(未来共生イノベーター博士課程プログラム)、COデザインセンター(超域イノベーション博士課程プログラム)、社会ソリューションイニシアティブ(SSI)主催で実施し、榎井縁未来共創センター特任教授、山崎吾郎COデザインセンター教授、山森裕毅COデザインセンター招へい教員、そして今井貴代子が引率しました(文部科学省「実社会課題に対応するコミュニケーションの推進事業」(2019年~2023年度)「社会ソリューションコミュニケーター育成事業」)。浦河べてるの家で行われている当事者研究に学ぶこともツアーの大きな趣旨の一つでしたが、本稿では割愛しています。ご協力いただいた方々にこの場を借りてお礼申し上げます。

2) 『思想』2022年12月号(岩波書店)の特集「北海道・アイヌモシㇼ―セトラー・コロニアリズムの150年」には、このことを考えていくための多くの問いかけ/〈呼びかけ〉があります。

3)パウロ・フレイレ『新訳 被抑圧者の教育学』(三砂ちづる訳)亜紀書房、2011