マンスリー・トピックス

「幸福政策」は可能か
~幸福の重層構造から考える~

京都大学こころの未来研究センター教授

広井良典

2021年5月
はじめに ――「幸福」「ウェルビーイング」への関心の高まり

昨今、「幸福」あるいは「ウェルビーイング」というテーマへの関心が高まっています。様々な企業がそれに注目した展開を進めたりするなど、ビジネスや経済・経営の領域にまで広がっているのが最近の動きの特徴と言えるでしょう。
もともとこうした「幸福」ないし「ウェルビーイング」への注目は、比較的よく知られているように、ブータンが1970年代から唱えている「GNH(グロス・ナショナル・ハピネス、国民総幸福量)」に一つのルーツを持つものでした。

日本の場合、内閣府に設置された「幸福度に関する研究会」の報告書が2011年にまとめられていますが(私も委員の一人として参加)、実は日本において特徴的なのは、意外にも地方自治体がこうした動きに先駆的に取り組んできていることです。
もっとも先駆け的な展開を進めたのは東京都荒川区で、同区は2005年という早い時期に「GAH(グロス・アラカワ・ハピネス。荒川区民総幸福度)」を提唱するとともに、2009年には区独自のシンクタンク(荒川区自治総合研究所)を設立し、住民の幸福度に関する調査研究や指標づくりに着手し、2012年には6領域、46項目にわたる独自の幸福度指標を策定し公表しています。しかも指標づくりだけにとどまらず、並行して「子どもの貧困」、「地域力」といったテーマを順次取り上げ、幸福度に関する研究を具体的な政策にフィードバックさせる試みを行ってきています。
さらに、以上のような展開に共鳴した全国各地の市町村が、「幸せリーグ(住民の幸福実感向上を目指す基礎自治体連合)」というネットワークを発足させ(2013年)、幸福度に関する指標づくりや政策展開について様々な連携を進めています(現在約90の市町村が参加しており、私は顧問の一人)。

ところでこうした話をすると、ある意味で当然のことながら、次のような根本的な疑問が浮かんでくるでしょう。それは、
「「幸福」は個人によってきわめて多様かつ「主観的」なものであり、それを数字で指標化することなどできないし、ましてやそれを行政が「政策」に活用するといったことはありえない」、
という疑問です。
これはごくもっともな疑問であり、以下この話題についてさらに考えてみましょう。

幸福の重層構造 ――個体・つながり・自己実現

ポイントは、幸福をいくつかの重層的な構造からなるものとしてとらえるという点です。

この点について、図1を見ていただければと思います。これはいま述べた「幸福の重層構造」を示したもので、まずピラミッドの図の土台のほうは「生命/身体」に関わるような次元です。具体的には日々の十分な食糧を得ているとか、身体の健康や安全が保たれているといった基本的なレベルであり、これは人間が生きていくにあたり不可欠のニーズに対応するもので、“幸福の物質的基盤”とも言えます。それは「幸福の基礎条件」あるいは「幸福の土台」をなすもので、しかもこうした次元は個人差を超えて大方共通しており、「人間」にとって普遍的な次元と言ってよいでしょう。

図1. 幸福の重層構造

以上が主として「個体」レベルに関わるものとすれば、真ん中にあるのは「コミュニティ」あるいは他者とのつながりに関わる次元です。そこから生まれる情緒的安定や帰属意識、「承認」や誇り、自尊心といったものが、人間の「幸福」にとってきわめて重要な位置を占めているのは確かなことでしょう。
ちなみに、国連の関係組織である「持続可能な発展ソリューション・ネットワーク」が数年前から『世界幸福報告(World Happiness Report) 』を毎年公表していますが、その2021年版では日本は56位で、かなり低いポジションにあります。この報告書はそれをいくつかの要素に分解して説明していますが、日本において特に低い項目の一つに「社会的サポート」というのがあり、これは“困った時に助けてくれる人がいるか”という点に関するものです。まさにここで論じている「コミュニティ」や「つながり、関係性」に関わる点であり、現在の日本社会の根本にある課題と言えるでしょう。

最後に、ピラミッドの一番上の層は「個人」に関わる次元です。これは「自由」や「自己実現」「創造性」といった価値に対応するものですが、ここで重要な点は、想像できるようにこの層に至ると個人の「多様性」ということが前面に出ることです。したがってこの次元に注目すれば、先ほどの幸福指標への「疑問」にも示されていたように、まさに“幸福のかたちは人によって多様”となり、一律の尺度をあてはめることは困難になるでしょう。
人生の姿は無限に多様であり、それぞれの人の人生の「幸福」を、一つの物差しで評価できるはずなどないというのは、他でもなくこの次元に対応していると言えます。

公共政策としての「幸福」

以上、「幸福の重層構造」ということを指摘し、人間の幸福にはある程度共通的な“土台”の部分から、個人差の大きいレベルまでの階層的な構造があることを述べました。ではこれは先ほど指摘した、幸福に関する「政策」は可能かという問いとどう関係してくるでしょうか。

ある意味で、その答えは以上に述べた「幸福の重層構造」についての説明の中にすでに含まれています。つまり、政府ないし行政が「幸福の公共政策」として重点的に取り組むべきは、他でもなく先ほど「幸福の基礎条件」あるいは「幸福の土台」と呼んだ、ピラミッドの下部の「生命/身体」に関わる領域に関する保障でしょう。
具体的にはそれは、医療・福祉などの社会保障、人生における“共通のスタートライン”を保障する教育、雇用などに関するセーフティネット等です。実際、先に紹介したように幸福度に関する政策をパイオニア的に進めてきた東京都荒川区が、最初に取り組んだテーマも「子どもの貧困」でした。

先ほど、「幸福政策」という考え方への疑問として、「「幸福」は個人によってきわめて多様かつ「主観的」なものであり、それを行政が「政策」に活用するといったことはありえない」という批判があると述べました。しかし以上のような「幸福の基礎条件」ないし「幸福の土台」の領域は、先ほども指摘したように十分に客観的であり、個人の多様性の基盤にある、普遍的な領域と言えるのではないでしょうか。
加えて、近年、ピラミッドの真ん中の「コミュニティ」の重要性が様々な面で注目されており――たとえば、高齢者がコミュニティでの様々な関わりを持っていることが心身の健康につながり、ひいては“介護予防”の効果ももつといった例――、したがってそうした「コミュニティ支援」も公共政策として重要な意味をもっていることを付言しておきたいと思います。

「自己超越」という次元

最後に、「自己超越」という話題について述べてみたいと思います。

本稿のテーマである「幸福」や「ウェルビーイング」をめぐるテーマに光をあて、それを学問的な研究対象そして社会的な関心事にしていくにあたり貢献したのは、1990年代頃から浮上してきた「ポジティブ心理学」と呼ばれる領域でした(例えばセリグマン『ポジティブ心理学の挑戦』参照)。そしてポジティブ心理学の主要な源流の一つとされているのは、日本でもよく知られた心理学者マズローの「人間性心理学(humanistic psychology)」と呼ばれるアプローチです。
ここで注目してみたいのは、マズローは晩年になって、「自己実現」の先に「自己超越」という次元があると考えるようになった点です(図2参照)。「自己超越」とは、マズローによれば「自分自身、そして大切な他者、人類全体、他の生物、自然、そして宇宙とつながること」を意味しています(“The Farther Reaches of Human Nature”)。

図2. マズローの再評価と幸福・ウェルビーイング

ちなみに私自身は、拙著の中で「地球倫理」という視点について論じ、それを「地球環境の有限性や多様性を認識しながら、個人をしっかり立てつつ、個人を超えてコミュニティや自然、生命とつながる」ような志向として述べてきました(『無と意識の人類史』等参照)。
このように記すと、随分と抽象的でいささか“浮世離れ”した議論をしているように響くかもしれませんが、必ずしもそうではありません。

こうした点に関する、私にとって身近な例を挙げてみましょう。近年、いわゆるソーシャル・ビジネスや社会的企業を立ち上げるような学生の志向や、若い世代の一部に見られる社会貢献意識は、ここで述べている「自己超越」や「地球倫理」と通底するところが大きいように思えます。
たとえば、農業と再生可能エネルギーを組み合わせた「ソーラーシェアリング」という事業――田んぼや畑の上部に特殊な形の太陽光パネルを設置して食料生産と自然エネルギーの一石二鳥を図る試み――を進める「千葉エコ・エネルギー」という環境系のベンチャー企業を立ち上げた卒業生の言動には、そうした志向が感じられます。

また、社会的課題の解決に向けた会社をスタートアップした別の卒業生は、自分がやりたいのは「自己実現」ではなく「世界実現」であると語っていました。つまり「自己実現」というと、どこか自分の中で完結したようなニュアンスが残るのに対し、彼の場合は、むしろ世界(ないし社会)そのものを望ましい方向に近づけていくこと――世界実現――が基本にある関心であるというのがその趣旨でした。
こうした若い世代の関心や活動は、いみじくもマズローの言う「自己実現/自己超越」と重なっているように見えます。つまりそれは、個人が限りなく利潤を極大化する、あるいはGDPの無限の増加を追求するといった近代資本主義のベクトルとはやや異なり、コミュニティや自然とのつながり、社会貢献、ゆるやかに流れる時間といったものへの志向を含むものです
そして以上に挙げたような例が示しているように、それは“ビジネス”としての事業性を持ちながら、それに尽きない、ある意味でSDGs的な理念とも通じるような性格を併せもっています。

そうした方向が、本稿で論じた「幸福の重層構造」のピラミッドの最上層部とつながり、言い換えれば「人間の需要の“最後の未開拓の領域”」としての「幸福」「ウェルビーイング」という発想と重なるのではないでしょうか。
それは人間にとっての究極的な「イノベーション」の段階であるとも言え、人類史的な展望の中で取り組んでいくべきテーマと言っても過言ではないと思えるのです。