マンスリー・トピックス

人権リスクへの対応を、
「経営リスク」から「ライツホルダーリスク」へと転換を

一般財団法人CSOネットワーク代表理事/サステナビリティ消費者会議代表
古谷由紀子

2022年3月
「ビジネスと人権に関する指導原則」の取組みが進展しつつある

企業に対する人権尊重責任への要請が日に日に高まっています。2011年、国際連合「ビジネスと人権に関する指導原則」(以下、「指導原則」という)(注1)が全会一致で支持され、日本では、2020年、政府が「ビジネスと人権に関する行動計画(2022~2025)」(図表1)(注2)を策定し、2022年には「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」(注3)を公表したことが大きく影響しているものと考えられます。

図表1.「ビジネスと人権に関する行動計画(2022~2025)」
出所:外務省Webサイト

指導原則においては、企業の人権尊重の取組みについて、方針を定めてコミットメントを表明し、企業活動がもたらした「負」の影響を特定・評価して、「負」の影響の予防・軽減・是正し、さらにライツホルダー(権利保持者)の救済の取組みが求められます。そこで、現在、企業は人権方針を策定あるいはサプライチェーン上の人権尊重を盛り込んだ調達基本方針の策定を急ぎ、指導原則で求められている人権デューディリジェンスへの取組みを進めようとしています。
企業の取組みにあたって注意をしたい点は、「負」の影響である「人権リスク」にどう対応していくかです。

「人権リスク」をどう捉えて経営に組み込むか

指導原則には、企業の人権尊重責任への対応として、企業のリスクマネジメントへの期待に関わる内容が記載されています。それは「人権デューディリジェンスが、単に企業自らに対する重大なリスクを特定し、対処するばかりではなく、権利保持者側に対するリスクをも含むのであれば、これをより幅広い企業のリスクマネジメント・システムのなかに入れることができる。」(指導原則17解説)(注4)や「人権への影響を評価するためのプロセスは、リスク評価や環境・社会影響評価などの他のプロセスのなかに組み込むことができる」(指導原則18解説)です。指導原則においては企業のリスクマネジメントに期待をしていますが、リスクマネジメントにおいて対象となるリスクは通常「経営リスク」であり、そのプロセスに影響を受けるライツホルダーのリスク(人権侵害リスク)を組み込むことはできるのでしょうか。
ここで、経営リスクとライツホルダーリスクとの差異について考えてみましょう。児童労働を例にすると、経営リスクの観点からは、NGOの指摘や社会からの批判によるレピュテーションリスクへの対処を意味することになります。権利保持者のライツホルダーリスクの観点からは、児童労働は子どもたちが教育を受ける機会や保護を受けて健康で安全な生活を送る権利を奪うことへの対処を意味することになります(参考:図表2)。

図表2.ライツホルダーリスクと経営リスク
出所:筆者作成

この経営リスクとライツホルダーリスクの捉え方の差異は、企業のリスク評価に大きく影響することになります。経営リスクの場合のリスク評価は通常、縦軸を「経営への影響」、横軸を「発生可能性」にしてリスクマトリクスを作成して、取り組むべくリスクを特定・評価するというプロセスとなります。ライツホルダーリスクの場合は、横軸は同じですが、縦軸が「ライツホルダーへの影響」とされています。その結果、企業の取り組むべきリスクが変わってくることになり、ライツホルダーの人権が侵害されていても企業が取り組みをせず、企業の人権尊重責任を果たせない懸念を生んでしまいます。これはライツホルダーにとっても企業にとっても望ましいことではありません。

企業のリスクマネジメントにライツホルダーリスクを統合するために

企業が経営リスクに関わるリスクのみに対応するならば、企業の人権尊重責任は達成できません、あるいは不十分ということになります。企業が「負」の影響を受けるライツホルダーの権利を確実に尊重していくためには、企業が従来のリスクマネジメントにライツホルダーリスクを統合していくことが必要です。
Björn Fasterlingは、「人権デューディリジェンスを既存のリスク管理システムに組み込むことによって、企業が指導原則に基づく責任を果たせることができるのか」と疑問を投げかけています(Fasterling:2017、p.225,246)(注5)。そこで、「人権尊重は企業目標として扱うことが条件」であるが、「人権デューディリジェンスの動機が明確でなかったり、事業の中断の回避やブランドの評価の向上といったビジネス上の関心事と一緒にされたりする限り、(経営リスクとしての)社会的リスクを管理するのとほとんど変わらない」と課題も指摘しています。
ほかにも、企業のリスクマネジメントにライツホルダーリスクを統合するための提案をするものとして、Global Compact Network Germany(GCNG)は、企業が人権に関する責任を果たすための支援を行ってきた実績を活かし、「ライツホルダーリスク」にさらされている人々の利益と長期的により強いビジネスの構築に貢献するための効果的な人権リスクマネジメントとして、「戦略的に活用」、「段階的実施」、「事業全体への浸透」、「ビジネスパートナーや同業者との協働」、「ビジネスにとってのリスクから人々に取ってのリスクへと視点を変える」という5つの成功要因を提示しています(GCNG:2021、p.4)(注6)。
 なお、ライツホルダーリスクをリスクマネジメントに統合するためには、これだけでは十分ではありません。ライツホルダーとの対話やエンゲージメントを全プロセスにおいて取り込むことでライツホルダーの視点を反映できると考えられます。これについては、別の機会でご説明したいと思います。


<注>
1:国際連合広報センターWebサイト、「ビジネスと人権に関する指導原則」、2022年12月25日アクセス<https://www.unic.or.jp/texts_audiovisual/resolutions_reports/hr_council/ga_regular_session/3404/>

2:外務省Webサイト、2022年12月25日アクセス<https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_008862.html>

3:経産省Webサイト、2022年12月25日アクセス<https://www.meti.go.jp/press/2022/09/20220913003/20220913003.html>

4:指導原則は、「原則」とそれに対する「解説」から構成されている。

5:Björn Fasterling(2017),“Human Rights Due Diligence as Risk Management:Social Risk Versus Human Rights Risk”, Business and Human Rights Jounal,2(2017),225-247

6:GCNG(2021), ”What does effective human rights risk management look like? 5 insights from practice”, Global Comact Network Germany, 2022年12月25日アクセス<https://www.globalcompact.de/fileadmin/user_upload/Dokumente_PDFs/DGCN_Insights_Series_HRDD_Risk_management.pdf>