マンスリー・トピックス

協働プロジェクトによる社会課題への取り組み

COデザインセンター准教授
山崎吾郎

2019年11月
社会の課題、自然の課題

社会の課題に取り組むのに人文学の知見が必要だ(不要だ?)という言い方を耳にするようになりました。どういうことなのか、すこし考えてみたいと思います。
私が関わっている大学院プログラム(超域イノベーション博士課程プログラム)では、さまざまな専門分野の大学院生たちが、現実の社会課題に取り組むプロジェクト型の授業を行っています。一番最近の授業では、滋賀県西部の山間地域でNPO・住民・行政に協力していただき、地域の住民が主体的に取り組める獣害対策を考えるというテーマを扱いました。
授業を担当したのは、文化人類学が専門の私と、生態学を専門とする教員(大谷洋介氏)の2名です。参加する学生が文理融合なので、教員も同様にというわけです。それに加えて、そもそも「獣害」は自然と社会にまたがる問題です。畑を荒らしにくるのは、シカ、イノシシ、鳥、猿といった野生動物ですので、なぜ彼らが畑にあらわれ、どうしたら追い払えるのかを考えるには、動物の生態や近隣の自然環境について知らなくてはなりません。もっとも、害をもたらさないのであれば、ときおり動物が姿を見せてくれることは、むしろ微笑ましくさえあるでしょう。問題は、野生動物が人間にとって有害なふるまいをするときに発生します。こう考えると、獣害は人間社会の問題となります。
したがって、解決策の考え方も、自然と社会の両方に関わります。農作物を守るためには、柵を立てて、ネットを張り、野生動物の侵入を防ぐ必要があります。実際それは、多くの獣害対策で用いられている有効な手段です。しかし、それだけで問題が解決するわけではないのです。

関係性のなかで課題を理解する

単純化して、次のように考えてみましょう。年間50万円の利益をあげる小さな畑があるとして、この畑にイノシシが入ってくると、農作物は壊滅的に荒らされ、売上はほとんどなくなります。この畑に、50万円の設備投資をして頑丈な電気柵を設けることはよい解決策でしょうか。動物はたしかに畑に入れなくなりますが、業者に依頼して設置した立派な電気柵は、住民の手で継続的に維持管理することが難しいとも言われています。補修や修繕が必要になるたびに費用がかさむようでは、農作物から得られる利益には到底見合いません。そうであれば、設備投資にかける50万円は、いっそのこと農作物被害の保障に当てた方がよいのかもしれません。このとき、「農作物を荒らす野生動物への対策」とは、動物たちを畑から追い出すことだけではないことがわかります。その50万円を使って、動物たちが住む山の環境改善を進めることも、動物と共生するための社会を構想することもできるかもしれません。
こうした問いに対する答え方は、けっして一つではありません。そして、だからこそ解決は難しいと感じられるのです。人の考えや価値観に関わる問題であれば、ある地域でうまくいった対策が、別の地域でうまくいくとも限りません。農作物が少々荒らされる程度なら我慢できるという場合もあるでしょう。しかし、それが隣の集落に致命的な被害をもたらす原因になっていたらどうでしょう。住民総出で対策に取り組むことが重要だというのも一つの答え方ですが、実際には、日々の生活が忙しいなかで、野生動物対策に十分な労力やコストを投じられるとも限りません。そもそもそんな人手がない地域や、集落間の人間関係がギクシャクしている場合にはどうしたらよいのでしょうか…などなど。授業のなかでも、どんな自然-社会、動物-人間の関係が望まれているのかという考えを抜きにして「課題の解決」はありえないという理解が、次第に共有されていったように思います。

課題を解決するとはどういうことか?

生きることには悩みがつきものだという言い方に異論はないでしょうが、だからといって「人生の最終解決はこれだ」と言われて納得できる人もいないでしょう。かく生きるべし、それ以外は認めないなどと、はじめから答えがわかっている人生ほど窮屈なものはありません。同じように、課題がすべて取り除かれてしまった社会は、文学作品ではしばしばディストピアとして描かれてきました。課題を解決するというのは、「問題を取り除く」だけではないということです。そこには、「問題との付き合い方を考える」という側面が必ず含まれています。そしてそれは、人間と社会のあり方を考えてきた人文学的な知そのものだといえるでしょう。
基幹プロジェクト「社会課題を解決するためのコミュニケーション能力の開発」では、さまざまな専門の研究者が集まり、それぞれの立場からみえている社会課題の整理と、その解決に必要なこれからの教育研究体制の構築を進めていきます。ここで紹介したようなプロジェクトを、学外の協力者とともに、より広範囲のテーマへと展開し、教育、研究、そして地域社会を有機的につなぐ仕組みができればと思います。

課題のもうひとつの姿

ところで、今回の授業に協力いただいた地元の方から、後日、近くの山で捕れた猪肉を譲っていただきました。その肉は、大学院プログラムの忘年会で自家製牡丹鍋となり、おかげでその場にいたスタッフと楽しい時間を過ごすことができました。授業のなかでは「害獣」であった動物はこのとき、私たちの胃袋にとって、あるいは忘年会という現代の儀礼の場にとって、欠かすことのできない貴重な贈り物に姿を変えたわけです。スーパーでみかける精肉との違いを味わい、ジビエの安全性や規制について熱く語り、これもまた動物と人間との関わりをめぐる一つの課題であることを文字通り噛みしめることになりました。
残念だったのは、授業期間がすでに終わっていたこともあり、2ヶ月間イノシシの被害について考え続けた学生たちの胃袋にまで料理が届かなかったということです。この問題は、また別の機会に検討が必要になりそうです。