マンスリー・トピックス

自分の思いを映し出すための古典、他者に寄り添うための古典

社会ソリューションイニシアティブ長/経済学研究科教授
堂目卓生

2019年4月
物事の本質が記された古典

私は経済学の歴史を教えていますが、その関係で、講義やゼミで指定する参考書の中に、何冊かは必ず「古典」を含めることにしています。経済学の古典としては、アダム・スミス『国富論』、マルクス『資本論』、ケインズ『貨幣・利子および雇用の一般理論』などがありますが、私が薦める古典は、経済学の分野に限られません。たとえば、プラトン『ソクラテスの弁明』、アリストテレス『ニコマコス倫理学』、デカルト『方法序説』、カント『永遠平和のために』、ダーウィン『種の起源』、トクヴィル『アメリカのデモクラシー』、リップマン『世論』、ベルクソン『道徳と宗教の二つの源泉』、孔子『論語』、道元『正方眼蔵』、松尾芭蕉『奥の細道』、福澤諭吉『文明論の概略』など、国も、時代も、分野も、さまざまです。他にも、読むべき古典は、いくらでもあると思います。幸い、日本では、外国の古典の多くを日本語の翻訳で読むことができます

日進月歩の学問を教える場で、何百年、何千年も前の書物を学生たちに読ませるのは時間の無駄だという意見もあるかもしれませんが、私はそうは思いません。古典には、人間とは何か、自然とは何か、社会とは何か等、物事の本質が記されており、古典に立ち返ることによって、現代の諸問題をより深く捉えることができると思うからです。

社会人も古典に学ぶ――日本アスペン研究所の事例

10年ほど前から、私は「日本アスペン研究所」という一般社団法人と関わりを持つようになりました。アスペン研究所は、1950年に米国で設立されて以来、日本を含めて12カ国にある組織で、企業やパプリック・セクター等の社会人に古典を読み、古典に学ぶことを推進しています。12人から20人ぐらいで3日間から5日間合宿します。指定された20種類ほどの古典の一部を前もって読んできて、テキストについて自分が気づいたこと、思ったことを対話します。私は、参加者の読解や対話をサポートする役割を担当しています。参加者の中には、最初、「大学を卒業してから、この種のものを読んでないので」とか、「全然頭が働かない」とか言う人もいます。発言も自分の仕事に引きつけた話が多く、古典に馴染めない人も多いようです。しかし、そのような人たちも、日が立つにつれ、「プラトンはどうしてこんなことを書いたのだろう」とか、「やはり孔子はすごいと思う」など、テキストや著者に引き込まれた発言をするようになります。そして、最後には「人間として何が大切かもう一度考え直さなくてはならないと思う」という発言も聞かれます。

(写真: 日本アスペン研究所でのセミナーにて)

http://www.aspeninstitute.jp/

自分の思いを映し出すための古典

アスペン研究所の事例に見られるように、古典は、時代を超えて読み継がれ、人びとの心を捉え続け、思索や行動のエネルギーを与えてきました。それは、古典が学問的、社会的な諸問題のみならず、日常生活で生じる個人的な諸問題の根源を解き明かす力を持つからだと思います。

古典を読むと、文章の重厚さと繊細さ、議論の大胆さと緻密さだけでなく、全体にみなぎる情熱に引き込まれます。読者は書物の中で著者と出会い、著者の話を聞き、著者と対話するのですが、対話を繰り返すうちに、これまで言葉にしたくてもできなかった自分の思いを見出すことができます。たとえば、ケインズが経済学者に対して言った言葉の中に「文明の可能性の受託者」という言葉があるのですが、私はこの言葉に出会ったとき、これこそ私が経済学者の役割に対してずっと抱いてきた思いだと感じました。

古典を読むことの意義は、言葉にしたくともできない自分の思いを、著者が作る鏡に映し出すことにあると思います。古典が古典として生き残ってきた所以は、こうして多くの人を引き込んできたからではないでしょうか。

他者に寄り添うための古典

私は、古典を読むことには、隠された自分の思いを映し出すことのほかに、もうひとつの意味があると思います。それは、他の人、特に災害や貧困などのため、困難な状態に陥って途方に暮れる人に寄り添うときに必要になる「深い優しさ」を養うことです。「ともに考え、ともに行動する人」になるための古典と言ってもよいかもしれません。「専門が違うので分かりません」と言って立ち去るのではなく、自分の専門知識や技能を活かして何とかできないかと考える知恵、人間や社会の根本にまで立ち返って何とかしようとする思慮、自分で自分の状況を表現できない人に代わって言葉を発する勇気、異なる声に耳を傾け、共感し、それぞれの声を繋げてひとつの声にしていく寛容さ。これらの素養を古典は育んでくれます。私の場合は、アダム・スミスの『道徳感情論』が「共感」(他者の感情を心の中に写し取り、それと同じ感情を起こそうとする心の働き)の重要さを教えてくれました。

社会課題の解決に取り組むにあたって、さまざまな専門知識が必要とされるのは言うまでもありません。しかし、専門知識とは別に、己を知り、他人に寄り添い、状況を打開していく力を育む知も必要とされます。物事の本質を捉え、今日まで生き残ってきた古典はそのような知の源泉になると思います。