マンスリー・トピックス

市民社会と紛争解決

国際公共政策研究科准教授(掲載時。現上智大学総合グローバル学部総合グローバル学科 准教授.)
中内政貴

2018年6月
「共生対話の構築」プロジェクト

「紛争解決に関わることに市民の大多数は賛成してくれている」「政党からも、政治的立場の違いを超えた支持がある」―「共生対話の構築」(SSI基幹プロジェクト、代表:松野明久教授・国際公共政策研究科長)の調査で、7月に欧州3カ国(英国、フィンランド、スイス)を訪問し、政府機関、非政府組織(NGO)の双方から何度もこのような発言を聞きました。

訪問先と聴取内容の簡単な説明をさせていただくと、ロンドンではまず国際NGOインターナショナル・アラート(International Alert)を訪問しました。この組織は紛争により影響を受けた人とともに働くことを掲げており、難民が参加するワークショップや、彼らを受け入れる大学のプログラムについてうかがいました。続いて訪問した国際NGOコンシリエーション・リソーシズ(Conciliation Resources)は、紛争当事者間の対話を促す活動をしており、紛争解決に必要な前提条件等についてうかがったほか、自決権と紛争について考えるワークショップにも参加しました。ヘルシンキでは、クライシス・マネジメント・イニシアティブ(Crisis Management Initiative: CMI)を訪問しました。CMIはフィンランドの元大統領で世界各地での紛争解決への尽力によりノーベル平和賞を受賞したアハティサーリ氏が設立した、紛争解決を目指す国際NGOで、ここでは、政府とNGOとの関係や、対象とする案件の選定などについてうかがいました。ベルンでは、まずスイス外務省を訪問しました。同省には「人間の安全保障」部署が存在し、NGOや学界など政府外からも人材を受け入れて世界各地で人間の安全保障を推進するプロジェクトに取り組んでいるとのことで、政府とNGOとの協力や資金管理についてうかがいました。続いてチューリッヒ工科大学のセンター・フォー・セキュリティー・スタディーズ(Center for Security Studies)を訪問しました。ここでは紛争解決に関わる人に対する短期教育プログラムを実施しており、大学の役割や資金等についてうかがいました。最後に紛争解決のための仲介を行うNGOスイスピース(swisspeace)を訪問し、政府との協力関係などについてうかがいました。

写真1.コソヴォ北部ミトロヴィッツァ市の橋は民族間の分断の象徴となり、武力紛争が終わって十数年が経過しても国際軍事部隊による警備が欠かせない(2013年3月執筆者撮影)
紛争解決活動を支える市民社会

さて冒頭に引用した発言ですが、なぜ紛争解決活動にこれほど活発に携わることができるのか、というこちらの質問に対して先方から異口同音にこのような答えが返ってきたのですが、これは私にとっては驚きでした。というのも、紛争解決は、現地での人命・生活の破壊や経済的損失等を食い止める重要な活動ですが、これに取り組むために必須となる自国の市民からの支持は決して簡単に得られるものではないからです。政府の活動はもちろん、NGOの活動にも一部税金が用いられますが、紛争解決はすぐに結果が出るようなものではなく何年・何十年にも及ぶ関わりが求められ、仮に成功したとしても、関与した側に直接の利益をもたらすわけではありません。それだけに、ある組織が長期にわたって粘り強く紛争解決に取り組むためには、自国の市民がグローバルな事項に関心を持ち、他国の人々の苦しみを見過ごさない姿勢を持って、組織の活動を支えることが不可欠なのです。

写真2.コンシリエーション・リソーシズのセミナー風景。多様なバックグラウンドを持つスタッフが活発な議論を繰り広げる。Photos provided by the CR (https://www.c-r.org)
国際的な公共と市民社会

残念ながら今回の短い出張では、3国の市民がどのような観点で、政府や大学やNGOの紛争解決活動を支持しているのか、インタビュー等の調査はできませんでした。ただ、各組織スタッフの話の端々からは、かなり突っ込んだ議論をし、紛争解決活動に伴う困難や問題点をも認識したうえで、国際社会の一員の義務として、また公益に資する活動に誇りを持って支持を行う市民社会の姿が伝わってきました。「市民社会」は様々な用いられ方をする概念ですが、国家と市民との間に、市民の活動や自発的な団体結成等によって形作られ、市民間の対話や議論の場をなし、国家そのものや政策に対する補完や批判といった機能を担う存在として広くとらえています。言語やコミュニケーションの壁によって市民社会が表面上は国家単位で区切られることは避けがたいものの、市民の意識は必ずしも国家によって分断されるものではなく、むしろ「公共(public)」意識で国境横断的につながり得る性質を有しています。

日本の市民社会のこれから

当方からの質問は、日本の市民社会は、日本政府や日本に本拠を置くNGOなどによる紛争解決活動にどれぐらい関心を持ち、理解を示すだろうかという不安から出たものでもあります。もちろん日本には、災害時などに明確に示されてきたように分厚い豊かな市民社会が存在しています。様々な人道支援など紛争に関係する苦しみから国籍に関係なく人々を助けるための活発な活動をしているNGOも数多く存在します。一方で、こうしたNGOの多くが資金面で十分な支持を得られておらず、また政策面では政府開発援助(ODA)が1990年代比で半減し国連が目標に掲げる国民総所得(GNI)比0.7%に遠く及ばなかったり、難民認定率が極端に低かったりするといった問題が存在します。果たして日本国内の市民の日常生活では、世界の問題についてどの程度議論が行われているでしょうか。島国という地理的条件等も影響するのでしょうが、どうしても国内と海外を全く別々の世界のようにとらえ、外に目を向けにくい傾向がありはしないでしょうか。

思えば多くの紛争の根本には、利害の衝突を解決することができなかったり、対立を扇動する政策をとったりする政府や政治勢力、そして、市民が紛争を止めることができず、エスカレートを許してしまったことがあります。最終的な紛争の解決には現地の市民社会が長い時間をかけて再生・発展し、市民間の分断を乗り越えることが欠かせません。そのためには市民社会同士が国境にとらわれずにつながり、支援し合うことが求められます。また市民社会間のつながりは、実は紛争を経験したような国だけではなく、グローバリゼーションが進み、個人の生活や福祉への影響を増す中で、地球上のどこにおいても市民の生活をまもるためにますます重要になっています。日本の市民社会がその潜在力を発揮し、日本のみならず世界の問題への対処において中核的な役割を担うように発展していくことを願ってやみません。