研究者フォーラム

第5回SSI研究者フォーラム開催報告
「研究者が/AIが/私が”言葉”で描く世界とは」

<日時>  2022年9月29日(木) 17:00〜19:30
<場所>  ハイブリッド開催(SSI豊中ラウンジ+ZOOM)
<参加者> 48名
<プログラム>
・開会挨拶:堂目卓生/大阪大学SSI長・同大学院経済学研究科教授
・第1部:「研究者が/AIが/私が“言葉“で描く世界とは」を考える
 ●3人の研究者の視点共有+Q&A
   話題提供1 榎本 剛士/人文学研究科 言語文化学専攻 准教授
   話題提供2 渡邊 英理/人文学研究科 日本学専攻 准教授
   話題提供3 中島 悠太/データビリティフロンティア機構 准教授
 ●ミニ・パネルディスカッション
・第2部:小グループに分かれての参加者同士の交流
・まとめと中締め
・引き続きフリーディスカッション

(司会・モデレーター:川人よし恵 社会ソリューションイニシアティブ企画調整室員/経営企画オフィス講師・西村勇哉社会ソリューションイニシアティブ特任准教授)

言葉に関する研究をテーマに開催

2022年9月29日(木)に、第5回研究者フォーラムが開催されました。今回は「研究者が/AIが/私が“言葉“で描く世界とは」をテーマに、社会言語学・言語人類学、文学・批評理論、AI・コンピュータビジョンを専門にする研究者から論点が示され議論がおこなわれました。

大阪大学の教職員計48名が参加した本フォーラムは、3名の研究者による話題提供とミニ・パネルディスカッションの第1部、および小グループに分かれて交流する第2部の二部構成で行われました。COVID-19の影響もあり過去の研究者フォーラムはZoomでのオンライン開催で行われてきましたが、今回初めて豊中サロンでの対面形式とZoomでのオンライン形式を併用するハイブリッド形式で開催することができました。

様々な言葉のありかた/使われかた

話題提供ではまず、人文学研究科言語文化学専攻の榎本准教授が社会言語学・言語人類学の立場から発表されました。榎本准教授は「コミュニケーションの中の言葉」をテーマに、言語が社会や文化など現実社会のコンテクストの中でどのように使われているのか説明されました。社会言語学・言語人類学の先行研究を通じて解明されてきた言葉の持つ多様な機能について解説された上で、言葉の役割を理解するには、言葉の形式的・意味的側面に加えて、言葉と相互作用する様々な要素(言語使用者の共同体、言葉を使用する状況・ジャンル、言葉と身体性の関係など)について目を配ることが重要だと論じました。人間がどのように言葉を経験しているのか考えると、言葉だけで純粋に語り・伝える状況はほとんどなく、時間や空間、社会や文化などコンテクストの影響(特に言葉にまつわる「問題」を考える際には、国家や民族などと結びつく言語イデオロギーやSNSなどメディアイデオロギーの影響)を考慮することが不可欠であるとして報告を締めくくりました。

続いて、2人目の話題提供者である人文学研究科日本学専攻の渡邊准教授が、文学研究・批評理論の立場から「文学的言語が開く世界:虚構・仮設・現場性」というタイトルで発表されました。渡邊准教授は、近現代日本文学の中でも(再)開発を扱った「(再)開発文学」(注1)として捉えうる作品群に注目して、「虚構」・「仮設」・「現場性」という概念を導入し、文学を起点に歴史的記憶や現代社会について考察しています。具体的には熊野の被差別部落(開発対象)の路地を描いた中上健次の作品を例に、日常社会において不可視化されている規範・境界線を可視化し、それを転覆・逸脱・攪乱することで現実を「異化」する効果を文学の言葉は持っていることを示し、現実の制度もまた一つの「虚構」であり、変える事ができる(「可変性の可能性」)という気付き・希望を与えることができると説明されました。さらに、宇治ウトロ地区での放火事件の判決やネット上でのヘイトクライムの事例比較対照をしながら、個別的・具体的な経験を、虚構化することで抽象化・普遍化(「現場性」の言葉)し、当事者を「代弁」するのではなく、未完・未決のプロセスとして語る(「仮設」の言葉)ことで、あらゆる聞き手・読み手を排除せず、関わり合う余地を残す語りが可能になるのではないかと述べ、文学的言語の持つ可能性を示されて報告を締めくくりました。

最後に、3人目の話題提供者であるデータビリティフロンティア機構の中島准教授が、「AIが言葉で描く世界?」というタイトルで報告されました。元々コンピュータビジョンやパターン認識を専門とされる中島准教授は、具体的に羊と草原の画像を例(大体の羊の画像は草原とセットであるため、AIは草原を羊だと学習してしまうことがある)に、AIの画像処理を行う上での問題について説明されました。そして、五感をフルに使い、3次元的に情報を取得・理解する人間と、視角のみ(しかも平面的な画像)しか持たないAIでは画像を理解するために必要な言語が異なるのではないかと考え、AI独自の言語を作ることを研究の対象としました。一方で、AIの言語を開発する上で、限られたデータから学習するAIが逃れられないバイアスの存在や、AIは人間のように暗黙知(コンテクスト)を獲得することができるのか(すべきなのか)という問題が浮上し、こうした問題について言語を専門とする研究者と話してみたい、また、「AIに物語を作ることは可能か?」「AIと人間のコミュニケーションは可能なのか?」という議題を上げて報告を締めくくりました。

 

(注1)(再)開発文学:ここでは主に戦後日本を対象とし、小説にとって重要な構成要素となる場所や空間を変容させた出来事を扱った文学作品のことを指す。ただし、実体的なジャンルではなく、「戦後文学」の可能性と限界を再考するための方法論としての仮説的な概念である。

AIの言葉から考える人間の言葉の本質、そして人間とAIの違いとは

パネルディスカッションでは、人間の言語とAIの言語の違いについての議論を皮切りに幅広い議論が繰り広げられました。人間の言語とAIの言葉の違いのベースには人間とAIの感覚器官の違いがあるということが確認された一方で、渡邊准教授はAIの言葉を作る事の難しさは、同時に人間にとっても言語が難しいものであると再確認させてくれるのではないかと述べました。その上で、人間が言語を習得する過程からAIが言語を習得する過程について何かの学びを得ることは出来るのかという中島准教授の問いに対して、榎本准教授が言語人類学の立場では言語はコミュニケーションで使えるように出来ていると考え、AIにとってのコミュニケーションの前提となるコンテクストについて考える余地があるだろうと応えられました。

AIによる文学作品をどう捉えるかという問題について、中島准教授がAIにも作家性が宿ることはありうるのかと疑問をなげかけられました。それについて、渡邊准教授は人間による文学作品も「引用の織物」であり、特にコラージュを多用する現代文学作品と大量の作品データを利用して作成されるAIによる作品の間には類似性があるのではないかと述べ、榎本准教授は作家性の問題は作品を読む人間側の解釈の問題でもあるだろうと説明されました。

こうした議論を続ける中で、徐々に人間とAIの違いや、AIが映し出す人間の本質という話題にも繋がっていきました。例えば人間の言語にも潜むバイアスの存在や、AIの言語によってジェンダーなど身体的特徴と言語の関係を相対化する可能性についての議論があり、AIの理解を通じて人間の中にある「機械的な部分」を理解出来る可能性があるかもしれないなどの反応がありました。

今回の研究者フォーラムは、日常生活に欠かせない言葉をテーマに、主に人文学と情報科学の立場から学際融合的な議論がなされました。何気なく使っている言葉の裏に潜む様々な役割や言葉が社会に与える影響、そして人間とAIの本質的な違いはどこにあるのかまで、非常に幅広い議論が行われました。コミュニケーションと言葉の関係性、虚構や物語を通じて現実が「変わること/変えること」への希望、AIという新たな技術の発展が社会や文化に与える影響など、現代社会の課題について考える上で非常に大きな示唆を与えてくれるフォーラムになったと言えるのではないでしょうか。

 

(藤井翔太 大阪大学社会ソリューションイニシアティブ准教授)