マンスリー・トピックス

「社会的弱者」と向き合うことによる人間の解放~ジャン・バニエの思想と実践~

社会ソリューションイニシアティブ長/経済学研究科教授
堂目卓生

2018年4月
「社会的弱者を救う」という考え方

私の専門は経済学の歴史です。特に、経済成長と分配、つまり富を増大させることと分け合うことの関係を経済学者たちはどのように考えてきたかに関心を持っています。これまで、アダム・スミス、ジョン・ステュアート・ミル、アマルティア・センなどの学説や思想を研究してきました。彼らは、自由な市場に任せるべきか、それとも政府の介入を求めるべきかについて意見の違いがあるものの、いずれも有利な状態にある者が不利な状態にある者-いわゆる「社会的弱者」-を助けるべきだと考え、そのための経済システムを提案しました。経済学には、「経世済民の学」としての誇るべき歴史があります。

ジャン・バニエとラルシュ

しかし、最近、こうした考え方とはまったく異なる思想に出会いました。ジャン・バニエの思想です。バニエは、1928年生まれのカナダ人です。第2次世界大戦中はイギリスの海軍兵学校に在学しますが、その後、独学で哲学を勉強し、1963年にはトロント大学に職を得ます。ところが、友人の招きによって知的障がい者と交流したことをきっかけに、大学を辞め、フランスのパリ郊外の村にある古家を買い、重い知的障がいを持つ男性2人と共同生活を始めました。彼らは、その家を「ラルシュ(L’Arche)」(箱船)と名づけました。

http://www.jean-vanier.org/en/home

バニエの考え方

バニエの考え方の特徴は、知的障がいを持たない人が持つ人を一方的に助けるというのではなく、障がいを持たない人が持つ人と共に生活し、彼ら彼女らの友情の求めに向き合い、心を開くことによって、自分自身の心の壁をとり払うことにあります。バニエによれば、人間は誰もが心の傷や恐れを封じ込めるための壁を心に作って自分を守ろうとしています。そして、傷や恐れを思い起こさせる他人を嫌い、遠ざけ、排除しようとします。差別や暴力の根源は、こうした個々人の心の壁にあるのです。人類が平和な社会に向かって進むためには、世の中から排除された人びとに目を向け、接し、共に生き、友情を結んでいかなくてはなりません。心の障がいを取り払わなくてはならないのは、排除された人よりも、むしろ排除する人なのです。この意味で、知的障がい者だけでなく、さまざまな「社会的弱者」― 正確に言えば「社会的弱者とされる人びと」― こそ、人間を解放する可能性を秘めているとバニエは考えます。

世界に広がるラルシュ

50年に及ぶバニエの実践と思想は、世界各国で多くの賛同者を得、現在までに「ラルシュ」は38カ国149団体に広がり、それぞれ、国際的な連帯組織を形成して活動しています。日本にも静岡市に「かなの家」というラルシュがあり、私も訪れたことがあります。最初、私は、かなの家の人たちとどう接したらいいのか不安でしたが、彼らは、そんな私を温かく受け入れてくれました。翌日、彼らと別れる時、熱いものがこみ上げてきたことを覚えています。

https://www.larche.org/welcome
https://larchejapankana.localinfo.jp/

社会ソリューションイニシアティブ(SSI)の意識

SSIは、「命を大切にし、一人一人が輝く社会」を目指して、命を「まもる」、「はぐくむ」、「つなぐ」という視点から社会課題に取り組んでいきます。取組を進めるにあたって、「社会的弱者とされる人」とそうでない人との垣根を越えた人間関係をとり結び、それぞれが自分の限界を見つめ、心の壁を取り払う努力をしながら未来社会を共創していきたいと思います。