マンスリー・トピックス

紛争を解決したい!〜平和を「つくる」ことは可能か

SSI基幹プロジェクト「共生対話の構築」代表/国際公共政策研究科教授
松野明久

2018年10月

戦争のない平和な世界はみんなの願いです。しかし、なかなかそうならないのが現実の世界です。果たして平和を「つくる」ことは可能なのでしょうか。戦争が「終わる」のをただ待つのではなく、それを「終わらせる」ことはできるのでしょうか。しかも「話し合い」で。紛争解決(Conflict Resolution)はまさにそれをめざすものです。それは研究分野でもあり実践分野でもあります。戦争と平和は古くから国際政治学の中心的なテーマでした。しかし、第二次大戦後の世界では、非植民地化や国民国家形成の過程で異なる民族や宗教の違いが武力紛争へと発展することがしばしばありました。冷戦終結後の1990年代にはそうした紛争が注目を集めました。アイデンティティが問題となるがゆえに妥協することがむずかしく、長期化してしまう紛争。それが現代的紛争と呼ばれるもので、それを「対話」によって解決しようというのが紛争解決です。

21世紀、紛争解決は世界的な潮流になりつつあります。国際連合は2006年に「仲介支援ユニット」を設け、「効果的仲介のガイドライン」を発表し、和平交渉仲介の支援に乗り出しました。スウェーデン、ノルウェー、フィンランドといった北欧の国々は以前から和平仲介の経験が豊富であり、最近はスイスやカナダも積極的です。これらの国々では、政府、大学、研究所、NGOなどがネットワークをつくり、相当な国家予算を投じ、地域機構(EU)や国連と連携しながら紛争解決に取り組んでいます。ビジネスマンや宗教者が関わることもあります。
例えば、フィンランドでは外務省に「仲介チーム」があり、官民合わせた調整グループの会合を開いています。30年近く続いたインドネシア政府とアチェ独立派の武力紛争に終止符を打った2005年の和平交渉は、フィンランドのNGO、クライシス・マネジメント・イニシアティブの仲介によるものでした。その代表者マルティ・アハティサリ氏は元大統領で、引退後に紛争解決NGOを立ち上げたのです。和平交渉のきっかけを作ったのはこのフィンランドのビジネスマンでした。インドネシアで仕事をする中で、やはり元ビジネスマンであったインドネシア副大統領(当時)に和平の仲介を申し出たのです。アハティサリ氏はアチェ紛争の仲介を含む平和への貢献で2008年ノーベル平和賞を受賞しました。

もちろん、こうした活動は大変難しいものであり、簡単に成果は出ません。国連の仲介ガイドラインは、仲介する側の十全の準備や中立性に加え、当事者の仲介への合意やオーナーシップ(和平プロセスの主体であるという意識)を基本条件にあげています。また、仲介者は縁の下の力持ちであって、表舞台に出ることはありません。それなのにお金もかかる、地味な仕事です。ただ、それは命をまもる仕事なのです。

スイスの首都ベルンに本部をおくswisspeace。実践指向の平和研究所で、和平仲介の支援も重要な活動の柱となっている。2018年7月撮影。

それでは、大学は紛争解決に対して何ができるでしょうか。研究者が得意なのは紛争分析で、それはいわば解決の糸口を見つける研究です。SSIはそこから一歩進んで「共生対話」を掲げます。「対話」は「交渉」よりも範囲が広く、信頼を醸成し、交渉の下地を整えます。これまで欧米の大学はトラックIIと呼ばれるトップリーダーではないけれども社会的に影響力のある人たちの対話をアカデミックな事業として行ったりしてきました。平和的な国際貢献を掲げる日本の大学にも同じようなことはできないものでしょうか。

アチェの紛争では市民が多大な犠牲を払いました。私は紛争中の2002年、アチェのシアークアラ大学を訪れ、そこで何者かに放火され、無残に焼け落ちた校舎を目にしました。大学の学長は前年、暗殺されていました。また、学生たちは銃弾を受けた市民を保護し、手術や治療を受けさせたりしていました。それは命がけの活動でした。そのとき私は、大学も紛争から逃れることはできない、平和の創造に関わらなければならないと思いました。遥かかなたの日本にいる私たちに何ができるかはわかりません。しかし、何もできないと諦めてしまったら、何も始まりません。何かをやろうと思うこと。紛争解決もそこから始まります。

焼け落ちたままのシアークアラ大学(アチェ)の講堂。2002年12月撮影。
和平成立後、日本の援助で建て直され、暗殺された学長の名前が冠された大学会館になっている。