マンスリー・トピックス

信用と共感に基づく豊かな経済社会を、私たちの行動が創りだす

社会ソリューションイニシアティブ教授
伊藤武志

2019年2月
出会いに導かれて

世の中のためになる仕事の仕方とはどのようなものか、そんな問いを持ちながら、金融機関で数年間、その後経営支援の仕事を10年間ほど人生を旅してきた頃、ちょうどこれも10年ほど前に2つの出会いがありました。
古典を学ぶ場である一般社団法人日本アスペン研究所の「ヤングエグゼクティブセミナー」への参加がきっかけで、『アダム・スミス』という書籍を通して、大阪大学経済学研究科の堂目卓生教授(現SSI長)とスミス本人に出会いました。『国富論』により近代経済学の父と呼ばれるスミスが、『道徳感情論』において共感に基づく道徳感情と人間社会について描いていることを知りました。私はこのとき、人間の共感によって良い経済社会が生まれるのではないかという仮説を持ちました。
同じ10年前、日本資本主義の父、渋沢栄一翁の玄孫の渋沢健さんが、長期投資を前提とする投信会社、コモンズ投信を立ち上げられるとほぼ同時に、栄一翁の考えを学ぶ『論語と算盤』経営塾を始められました。私もこの塾に参加し、さらに渋沢栄一記念財団、渋沢研究会にも所属し、そこで「信用に基づく経済」と「経済に支えられる社会」といった「道徳経済合一説」を学びました。このように私は、信用に基いた経済社会づくりの大切さを知りました。
思えばこれが、いま私がSSIにいる原点といえる出会いでした。

一部の心無い行為で、正直に働く多くの人々の豊かさが失われている

けれども、現実の経済社会にはまだ問題があります。まずは、商品・サービス(以下、モノとします)の「作り手・売り手」(以下、企業とします)についての問題を挙げましょう。原産地を偽った商品、法令に抵触する模倣品が安く売られると、本物と間違えて買う人がふえます。そんなことをすると市場価格が下がり、本物も安くしか売れなくなります。サプライチェーンに劣悪な労働環境や児童労働の存在する会社、2人で行うべきサービスを1人で行わせるような企業は、より安い価格でモノを提供しても利益が出ます。そうすると、良いサプライチェーンづくりに努力している会社の提供するモノは安くしないと売れなくなり、利益が出なくなります。まじめに商売をしている会社・人材が損をするわけです。リスクが高まり被害が生まれることもあります。
モノを購入する「買い手・使い手」(以下、消費者とします。ここでの消費者は、法人・個人を含みます)の側の問題もあります。飲食店や宿泊施設などで、連絡無しや直前のものでもキャンセル料が回収しづらい問題です。すると、スペースや部屋が空いて機会損失が生まれて、確保した人材や食材が無駄やコストになります。結局、規定のキャンセル料を支払わない人が原因で発生したコストを、他の消費者と企業が支払うのです。飲食店や宿泊施設は泣き寝入りです。
これらは企業と消費者のそれぞれが、信用ある行動をするかどうかの問題です。いずれの場合にも、正直でない人が存在すると、多くの正直な人が損をします。正直な企業が、過度に低価格になった市場で苦しい商売をせざるを得なくなり、正直な消費者にもしわ寄せが行きます。私たちは、あるときは企業側にいて、あるときは消費者でもあるので、正直なのに二重に損をするわけです。
渋沢栄一翁が明治・大正時代に憂えたこの問題は、いまだかなり残っています。一人一人の不誠実な行為は、最初は出来心でやってしまったり、そう悪気なく行われたものかもしれません。けれども、一度誰かが不正や不誠実なことをすると、あとでただすことは容易ではありません。前任者が始めたことをやめられず、それが長期に渡り、拡大していきます。業界でも会社でも、そんなことがたくさん起こっています。
けれども、もしこれを私たちが解消できれば、豊かな経済社会が生まれるはずです。そんな取組みをみんなで進めたい。でもそれは本当に可能でしょうか。

企業と消費者の互いの共感と行動で道が拓ける

まずは企業について。多くの企業はすでに、自分の組織だけでなく、仕入先で材料が適切につくられ労働環境が適切であることを確認し管理し始めています。調達のCSR(企業の社会的責任)という言葉もあります。1987年に「持続的な(sustainable)」という言葉が現れてすでに30年、多くの努力と時間の積み重ねがあります。環境・社会・経済というトリプルボトムラインが提唱され、企業の自主的なCSRの行動が促され、投資家はESG(環境、社会、ガバナンス)を重視するようになりました。多くの企業が、統合報告書による情報開示を行い、自ら行動と結果をステークホルダーに示して、対話を重ねています。
消費者はどうでしょうか。社会にとって良い企業の良いモノを購入しようというエシカル(倫理的な)消費の動きには長い歴史があります。数十年前からの健康への安全性確保や公害防止、環境負荷低減のための消費者運動の盛り上がりやコンシューマーレポートの発行に始まり、フェアトレード認証やレインフォレストアライアンス認証などの制度もあります。そして今、消費者は、携帯端末の進化やソーシャルメディアにも助けられ、企業が提供するモノについて,場合によっては企業と同等な情報を得て,企業が正直な商売をしているのか、良い労働環境で従業員を雇用しているのかすら把握して、購入や利用の適切な判断ができる可能性が高まっています。一人一人の消費者自身が、良い企業が提供する良いモノを見極めて購入・利用ができれば、企業で正直に働いている人々、まわりまわって自分自身を豊かにできるのです。
スミスが観察したように、多くの人間は、相手の立場に立つ共感能力を備えています。企業が消費者の立場でモノづくりをし、消費者が企業の行動を知ったうえでモノを買って使うという、互いへの共感を前提にした行動によって、経済的にも人間的にも豊かな市場経済と社会をつくれる時代です。この社会を実現する主体は、政府でも政治的なリーダーでもなく、企業を支え、購買行動を行う私たち一人ひとりです。

私たちのこれからの行動に向けて

冒頭に書いた出会いがきっかけで、「明後日の会」という企業の実務家メンバーによる有志で、「日本発『グローバル商人道』による価値づくりが世界を変える」という一つの宣言をとりまとめました。そこで私が宣言したのは、「車座の会」(丸く輪になって対話する場という意味)という学びの場をつくることでした。心ある多くの方々の協力で、10年間に約100名の実務家の方をお招きし、延べ2000人以上の方にいらしていただいて、互いに学び応援することができました。
来る2019年度には、万博の成功やSDGsの達成、そして30年後までに、「命を大切にし、一人一人が輝く社会」を創るために、そして、「信用と共感に基づく豊かな経済社会を、私たちの行動で創りだす」ために、大阪大学でも、実践するみなさまとともによい社会をつくるための「SSI車座の会」を始めたいと思います。


・写真は、鈴木吉宣さん(同志社大学客員教授。この写真の2017年当時は、オムロン株式会社の副社長でいらっしゃいました)が車座の会でお話いただいたときのものです。鈴木さんは、20年以上前にお会いして以来、経営実践の師と思っています。