
2024年9月24日(火)に、第7回研究者フォーラムが開催されました。今回は「「いきること」を巡る境界線を考える」をテーマに、老年看護学、社会学、哲学を専門にする研究者から論点が示され議論がおこなわれました。
大阪大学の教職員・大学院生計34名が参加した本フォーラムは、3名の研究者による話題提供とミニ・パネルディスカッションの第1部、および小グループに分かれて交流する第2部の2部構成で行われました。
前回に引き続き今回も豊中サロンでの対面形式とZoomでのオンライン形式を併用するハイブリッド形式で開催しました。開会の挨拶では堂目卓生SSI長より、「いきること」について考える今回のフォーラムが、SSIが重視するいのちの理念について考える上で重要な役割を果たすことへの期待が示されました。
話題提供ではまず、医学系研究科保健学専攻の糀屋助教が、老年看護・介護の臨床現場の経験から「『いきること』を巡る境界線を考える」のタイトルで報告されました。病院・在宅で患者にかかる様々な医療・介護関係者の間でリアルタイム・双方向に情報を共有するという課題に取り組んでいる糀屋先生は、医療の進歩が進む中で、家族の介護力や経済的な要因で「ただ生かされている」「いつ死んでもいい」と感じる高齢末期の患者さん、および家族とどうコミニュケーションし、その意思を尊重するのかという課題が生じていると話されました。そうした状況下において、医療者が倫理カンファレンスの実施を通じて、患者の尊厳が守られているのか多面的に評価し、「納得解」を導き出すように努力することの重要性が示されました。
続いて、2人目の話題提供者である人間科学研究科の山田陽子准教授が「感情資本主義社会を生きる」のタイトルで話題提供されました。山田先生はまず、E・イルーズによる感情資本主義を通じて、20世紀前半以降における経済的行為の感情化/感情・親密圏の合理化のプロセスについて紹介され、感情をコントロールできることが他者との差異化に資する(「感情資本」)ということであり、それは感情にみちた「公的領域」と合理的な「私的領域」という従来考えられていた公私の二分法に再考に繋がると説明されました。その上で、自殺予防NPOでのフィールドワークにおける生々しい体験を通じて明らかになった、「死にたさ」という感情資本主義に照らし合わせれば最も評価されない感情を受け止める人や場所の存在について紹介され、死が不可視化/隠蔽されてきた近代社会のあり方について語られました。はそれがリアルな感情変化として体感されていることも事実であり、感情について考えるためには従来とは違う基準・言説が求められているのではないかと回答されました。そして、白熱した議論の最後に、堂目SSI長が、「死にたさ」という感情の存在、わかり合えない関係性など、これまでSSIやいのち会議の場における議論の中では少し盲点になっていた論点がでてきたことが非常に重要だと締めくくられました。
最後に、3人目の話題提供者である学際大学院機構の小川歩人特任講師が「生と死の境界線の技芸」のタイトルで報告されました。まず、「私の死」は他の誰にも体験出来ず、また死は経験することのできないものであるが故に、徹底的に個別的な代替不可能性を象徴していることを示した上で、生と死の境界線においてどのような「判断」が求められているのかという問題が提示されました。その問いに対して、西川勝氏の『ためらいの看護』に書かれた事例が紹介しつつ、規定的判断に基づくルール化は無理だとしても、「天才の技芸」にしない仕方で現場に応答することが出来るのか模索する必要があるだろうと述べられました。
3人の報告に対しては、フロアからも多くの質問がなされ活発なやりとりが行われました。例えば、小川先生から医療活動を通じて生じた感情やしんどさを完全に消化しきらないといけないのかという問いに対して、糀屋先生は受け止めきれなかったこと自体が今後の人生の糧として転換できるのではないかと新しい視点をえられたと答えられました。
また、小川先生から感情の合理化が進む中で「真実の愛」のような合理化しきらない感情の価値が逆説的に高まってくるのではないかという問いに対して、山田先生は映感情変化自体を消費するようになってきている現代社会のあり方を示した一方で、当人にとって今回のフォーラムでは、「いきること」、そして「死」という誰しもが体験し、向き合わなければならない問題について、現場におけるアクチュアルな課題と最新の理論に基づく新たな視点の両方が提示されることで、非常に濃密な議論が行われたと思います。特に「死にたさ」という必ずしも前向きではないことについて考える事が、「誰一人取り残さない」未来社会を構想する上で不可欠であることが改めて浮き彫りになったように思います。
活動レポート
【開催報告】第7回SSI研究者フォーラム「「いきること」の境界線を考える」
2026/06/02
